西部劇の挽歌を撮り続けたサム・ペキンパー監督が「この映画を最後にビリー・ザ・キッドを扱った作品は撮られないであろう」と豪語して作った映画が「ビリー・ザ・キッド 21才の生涯」。しかし彼の死後、エミリオ・エステベスを主演として「YOUNG GUNS ヤングガン」という作品が撮られたわけです。今日は「
YOUNG GUNSU ヤングガン2」の話なんですがちょっと一席。
ボクは個人的にこの映画、非常に好きなわけです。「南北戦争で大敗を喫して北部資本に蹂躙されていた南部(西部)の民衆にとっては、彼の活躍って胸の痞えを下ろすロビン・フッドのように義侠的な存在なわけですけど、角度を変えれば「牛泥棒」にして「殺人者」。いわば秩序を崩壊させる悪漢にして冷血漢。矛盾の束にして留まることなく勢いに支配された無軌道な若者像をエステベスが、ほぼ等身大、かつ自然体で演じてくれてます。「左ききの拳銃」のポール・ニューマンじゃストイックすぎるし、「〜21才の生涯」のクリス・クリストファーソンは妙に寡黙でなよっぽい。「ビリーの実像って実はこんなんじゃないのかな?」と、現代の若者の無法ぶりと相俟って妙にリアルさを感じてしまうわけです。
1950年、ウイリアム・ロバーツを名乗る老爺が法律事務所を通し、ニューメキシコ州知事に
特赦を申し出る。取り次いだフェーレン弁護士は訳が分からず詳細を問いただすと、老爺は「
実は自分が21人の人間を殺害したビリー・ザ・キッドであった!」と思わぬ告白を始めるところから、物語はスタートする。
観客が「
えっ?かつてビリーはギャレットに闇討ちにされて殺されたのでは?」と思ったところで、舞台が70年前のニューメキシコの土漠を俯瞰する辺り、掴みは最高なんですね。さらにこの謎の老爺を語り部として進行する作品全体を鳥瞰すると、物語の初めと終わりで、現在・過去の時間軸を大きく捻じ曲げる手法は「ビリー・ザ・キッド21才の生涯」のソレなんですね。(笑) 脚本のジョン・フスコは完全に意識している。
牧場主タンストールとマーフィ一味の争い以降、アウトローの烙印を押され、解散した《レギュレーターズ(自警団)》でしたが、ビリーは新しい仲間、パット・ギャレット(ウイリアム・ピーターセン)や、非道にして野卑、危険な若者ルダボウ(クリスチャン・スレーター)と、ウォレス州知事(スコット・ウィルソン)や大牧場主チザム(J・コバーン)との対立の中、襲い来る賞金稼ぎども相手にニューメキシコの地で大暴れしていた。
名声に酔い、恐れを知らない故に追い詰められ始めるビリーの元に、逃亡先で迫害されたかつての仲間たち、チャべス(ルー・ダイアモンド・フィリップス)やドク(キーファー・サザーランド)が集結を始める。だがパット・ギャレットは裏切り、時の権力に将来を約束される代わり、州保安官となり、追っ手となってビリーを追い始める〜辺りが、史実や「ビリー・ザ・キッド 21才の生涯」を大胆に手本として、実にテンポよく躍動的に描かれているのが好印象なのです。
大牧場主チザムを演じたJ・コバーンは、かつて「ビリー・ザ・キッド 21才の生涯」でパット・ギャレットを演じていました。(笑) こういうカメオ出演はマニアとして嬉しいところ。仲間達が次々と銃弾で命を散らす後半ヤマ場の廃屋のシーンは、「〜21才の生涯」では物語の導入部に当たるのでした。
更には自らの小銭入り散弾銃(注.硬貨の直径で人体を損壊させる)で射殺される牢屋番ボブ(実話)との因縁がらみの確執や、ギャレットの追跡行に同行する判事のジョン・W・ポー(ブレイク前の
ヴィゴ・モーテンセン!驚)までキチンと洩らさず描かれているところを観せられちゃうと「〜21才の生涯」ならぬ「ビリー・ザ・ワールド」がより一層理解できるんですね。
...ですんで
姐ちゃん。絶対観てください。楽しめること請け合いです。あっ!音楽はアラン・シルベストリ。
主題歌はジョン・ボン・ジョヴィ“Blaze of Glory ”より
-神よ、俺は決して先に銃を抜かなかった。-
ビリーの軽薄の笑い声と相俟って、無法(wild)と混沌(worry)、悪徳(wicked)に女(woman)が纏わりついた華やかなりし「Wの花園」に、滅びのバラードが炸裂します。