2011年05月29日

若苗雨蛙色戦車T-26

台風2号の列島縦断が危ぶまれていますが、このまま梅雨入りに突入するのでしょうか?終日の雨模様でして、自宅に降り込められております。皆様に在られましては、台風被害等に是非ご注意せられたし。

U号戦車の工作が完了して、模型周辺は多少のニュートラル期間を迎えました。その間、筆遊び程度に取りとめも脈絡も無くフィギュアなどを塗っております。ドラゴン1/35「Blitzkrieg in the West France 1940」。この程度の大きさの物でも塗装完了までには大変かかります。時間潰しにはちょうど良いITEM。

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先のU号戦車とほぼ同時代の戦車。取り分けポーランド陸軍の7TP戦車関連の資料を調べながら、(この車輌の原形とあったヴィッカース6t系戦車繋がりで)長年作りかけで模型用ダンボールの中に放置状態であった、イタレリ/ズベズダ・露:T-26歩兵軽戦車の模型のレストアに、情欲処理的制作活路(笑)を見出しました。あまり店頭では見かけなくなりましたが、ポーランド・ミラージュ製品とは違い、6t系列戦車キットのデコライズ、その出来映えは白眉でしょう。

(※)ポーランド陸軍7TP戦車と、ドラゴン・フィギュアに関しては、拙掲示板の方にてポツポツ語っておりましたので、興味があられましたらそちらを御覧下さい。

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同車の実物をリサーチしますと、イギリスの傑作戦車:ヴィッカース・アームストロング6t戦車Mk.Eが原形であり、ソヴィエトはそのライセンス生産の権利を買ったんでしょうね。当初の双銃塔式タイプ(1931年式)をボリシェビキ工場、ヴォロシーロフ名称工場等で生産。後に缶詰の様な馬蹄形状の単砲塔化(45mm戦車砲1932年型を搭載)とし、1933年型として大量生産したそうです。その総数、実に6.000輌。重量分類からすれば軽戦車でありますが、偵察や捜索といった軽戦車に在りがちな目的ではなく、用途的カテゴラズは歩兵直協支援を目的とした歩兵戦車なのでした。先のБT-7快速戦車同様1936年からのスペイン市民戦争に試験的に参加し、その教訓を経て装甲板の傾斜化など、大戦勃発までの短い期間で更なる進化を遂げていきます。

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レストアに際し今回行った事は、トラックはモデルカステンの可動ですが、長年の接着風化が激しいことから、要所要所瞬着によるピンポイント固定。車体正面ライトのレンズ塗装、透明パーツの接着。ライト径が大きい事から、1/35透明ボトル瓶のボトルネックを切り取り、表面を成型後、内部電球としてレンズ中央に貼り付けてみました。また排煙器マフラーの再塗装。色彩的ポイントアップを目的として、木箱や巻きシートをごちゃごちゃ搭載してみました。これから更なる汚し塗装に取り組むつもり。

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以前のБT-7のアースカラーとは違い、GSIクレオス:ロシアングリーン(1)、加えて米軍機内内部色を斑にコラボした鮮やかさは、まるで田植時期の若苗色か、鶸萌黄(ひわもえぎ)の錦で染めあげたよう。...がそれら詩情的形容を払拭し、単にアマガエル色と喝破したマイミクお知り合いがおりました!季節的にはこちらの方が言い得て妙。(笑

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2011年05月28日

DVD「ゾンビランド」

元はアンジェイ・ワイダ監督の「カティンの森」をレンタルしに行き、つい評判に負けてこちらを借りてしまいました。(恥
ルーベン・フライシャー監督作品、「ゾンビランド」。スペインのシッチェス・カタロニア映画祭において、観客賞を受賞した痛快エンタテインメント・ホラーです。

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ウイルスで国民の大半がゾンビになったしょうも無いステーツ。偶然知り合った4人のしょうも無い男女が、ゾンビが居ないと噂されているロサンジェルス郊外の遊園地:パシフィックランドを目指して決死のサバイバルを繰り広げるというしょうも無しの内容。ゾンビと戦い生き残るために 自らに「32」のルールを架することによって生き延びてきたヒッキーの青年コロンバス(ジェシー・アイゼンバーグ)と、蝶野化が著しくプライベートと役作りのボーダーが見極めづらいタラハシー(ウディ・ハレルソン)。往年の西部劇TV「拳銃無宿」のマックイーンを模倣したのか?ランダル銃を振り回しております。また大好物で常に捜し求めているお菓子:トゥインキーなど、案外演技といわず自然体なのではなかろうか?(笑) 男を手玉に取るしたたかな処世術を身に付けた美人詐欺師姉妹:ウィチタ(エマ・ストーン)とリトルロック(アビゲイル・ブレスリン)も、なかなかの好印象であります。

主演のジェシー・アイゼンバーグ(映画「ソーシャル・ネットワーク」では第83回アカデミー賞・主演男優賞にノミネート!)と、子役のアビゲイル・ブレスリンは、共にM・ナイト・シャマラン監督作品に登場している実力派なんですね。ゾンビよりピエロが苦手のコロンバスでしたが、トリヴュアとしてジェシー・アイゼンバーグの実母が道化師出身だったそうで(笑)なるほど納得!



また主人公一行がビバリーヒルズで立ち寄るスーパースターの豪邸の住人を「ゴーストバスターズ」「ブロークン・フラワーズ」のビル・マーレイが本人役でサプライズ出演しているのが面白かった。終末観を払拭したポップコーン・ムーヴィー、何よりストーリーも分かりやすいし、ゴア・シーンもほぼ皆無なので、ホラー苦手の人も楽しめるのではなかろうか?今までのゾンビ映画でのサバイバル・ルールをマニュアル化し、ゲーム感覚的にフォント化、劇中僅かしか登場しませんが“32のルール”の全部が知りたい。(笑)

posted by まっぴら at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ゾンビ映画考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月27日

餡式甜甜圈

掛り付けの醫師に戴き申し候。
江戸患ひ(脚気・衝心)の妙薬として巷で評判にてござ候。

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TBS系の放映との事でふと思うのですが(原作漫画は出版社こそ違いますが)、パナソニック ドラマシアター(旧ナショナル劇場)「あんどーなつ」2期の前振りなんでございましょうか?(笑

posted by まっぴら at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | デリ・ログ(日常log) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月25日

飄哩譚

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清教徒革命の「ピューリタン」に引っ掛けて、記事の表題を「飄哩譚(ひょうりたん)」としてみましたが、昭和の文豪:安岡章太郎先生が御自身の一族を題材として執筆した小説「流離譚」にも偶然引っかかっています。 漂々と歴史的海原を何海里も航海してしまった。そんな意味合いを感じていただければありがたいですか。

帰省した際、ついでに我が家のルーツ探しをしてみたのだけど、どこまで本当なのか?よく分かりません。都市伝説ではありませんが、信じるも信じないも貴方次第、ボク次第。信頼に当たる(と思われる)筋で資料を借りてきたので、ここに写しを取り保存しようかと思います。

▼以下ね。系譜によると、

関東に勃興した桓武平氏。関東平(かんとうだいら)。葛西壱岐守清長が孫:民部左衛門康径が治承四年源義経に仕え、元暦元年の八島(屋島)合戦で軍功あり、義経公より太刀拝領す。文治五年衣川合戦で敗北したので奥州宮城郡多賀城(鎮守府兼陸奥国府)家中になり同城脇に住み、氏を改め××氏(現苗字)と称する。

後代:和泉守光信は二条館宮内家中となり、以下代々宮内家中役をした。

光信子:山城守義隆は建武元年より北畠顕家公(後醍醐天皇による建武の新政)に仕え、軍功があった。

義隆孫:弾正重康の代 向山を移り、会津政務祐近に仕えた。

重康子:将監重信は応永二十三年二本松探題畠山家に仕えた。

後代:万左衛門高則は永享二年刈田郡向山郷十貫文拝領し、向山小山崎に住んだ。

高則子:万兵衛(まんひょうえ)高康は天文二十二年小山崎観音を京都より奉還し、同年屋敷氏神として祀った。

後天正十三年伊達政宗の為に宮内内膳は相馬駒ヶ嶺城に引き移り、当家知行召上となり民間に下ったとある。
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丸に四つ木瓜紋

ここで源流とされる葛西氏を調べてみますと、初代の葛西清重は、平姓秩父氏一族の豊島氏当主豊島清元(清光)の三男で、下総国葛西御厨(東京都葛飾区の葛西城を中心に江戸川区・墨田区などの伊勢神宮の荘園)を所領とした小大名なんです。清元・清重父子は源頼朝の挙兵に従って西国平氏討伐に参加した御家人。ですが清重は奥州合戦(衣川合戦)において武功を立て...???

つまるは義経追討に加担した鎌倉勢の方なんですな。祖父・父と袂を分かち義経側に従った孫の民部左衛門康径という方は歴史に登場しませんが、清重は奥州藤原氏が滅ぶと奥州総奉行に任じられ、更には鎌倉幕府の重臣に取立てられますので、孫の康径に苗字を変えさせて多賀城(後の陸奥将軍府)家中として住まわしてしまう温情的配慮がなされたのではなかろうか?

しかし豊臣秀吉による奥州仕置き後、この家の家譜は散失、その血流は奥州伊達・南部氏傘下に散ってしまい、歴史の舞台上において無色無臭化してしまいますので、その後の研究の障害となっているらしい。民間に下った後の我が家譜においても、その支流にあっては後の世で言う系図買取りなど大方妄作必至ではなかろうかと思われます。(笑) 
ルーツ探しは歴史的パズルのようでエスプリが効いていて面白く、例え水飲み百姓や木樵の大将であっても、そこには歴史的ロマンを感じさせる。家系に時折現れいずるボクの様な好事家が調べ書き起こさないと、また幾星霜歴史に埋もれていってしまうわけですから。

そんなことよりブルーベリーがこのように実った。やはり小生ハナヨリダンゴ。(笑

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posted by まっぴら at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | まっぴら歴史散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月22日

浴蘭月滝雨

帰省してからの職場復帰は仕事がキツくってしょうがない。これもメイ・シック(5月病)なんでしょうか?出先で喰っちゃ寝喰っちゃ寝してたから、いささか太ったようで、立ち仕事がつらくなった。今日の休みは「のんびりしてやれ!」と半ば意地になって予定は入れず、ボンヤリして暮らす。
愛犬びいさんの月一の美容室、先の模型:U号戦車をお店のショーウインドウに納めて帰宅した後、自宅の掃除等にかまけていると窓を叩く突然の豪雨。自動車のウインドウを開け放ったままだった事に気が付き、玄関先から車のドアに飛びつき、再び玄関に戻る僅かの間に全身ずぶ濡れ、靴下やジーンズから水が搾れるほどの雨量だった。数年前のゲリラ豪雨を髣髴とさせる。
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午後はすっかり降り込められたから、雷の代わりにゴロゴロしていたよ。(笑) 突然のお湿りのおかげで夕方はかなり涼しくなった。日中は汗を掻くほどの陽気だったからね。

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posted by まっぴら at 18:14| Comment(0) | TrackBack(0) | デリ・ログ(日常log) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月18日

しちかしゅく湖に遊ぶ

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帰省した3日目は、お土産物を探しがてら、七ヶ宿ダムへ向かった。阿武隈川水系の3大ダムだとか。仙台市の発展に伴い上水道、工業用水の需要が急激に増加した為、大熊ダムや釜房ダムの能力を補い、仙台平野の一大穀倉地帯に農業用水を供給する目的で造られたダムなんそうだ。古くから七ヶ宿町は出羽方面への交通の要衝として発展し、谷あいに7箇所の宿場町として栄えたのだけど、ダムの建設に伴い、住民は移転し、集落跡は今はダム湖の底である。

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湖中央部には高さ77mの噴射能力がある間欠式の大噴水が設置されているのだけど、震災後は起動しているのかどうかまでは、時間内ではついに分からなかった。
また下流には国指定の天然記念物である小原の材木岩という材木を立てかけたような景観を誇る風光明媚な断崖絶壁があるのですが、同じく先の震災で崩落してしまったようで、現在はどうも立入禁止になっているようだった。途中立ち寄ったダム湖のほとりのドライブインは歩道が壊れていたし...。斯様なところも先の震災で受けた傷痕は無数に残されていた。

ここでのお土産は地元JAの胡瓜漬三種。(笑) 銘菓「萩の月」はいささか値段が騰がったようで。もっともかの商品のフランチャイズ化は著しくて、同様の商品が埼玉では「武州の月」と銘打って販売されていたりする。もういい加減、東京中日スポーツ的な売り方は企業努力して考え直せ!と毎度激しく腹の底で叫んだりするのだ。

また昨今はアニメ番組「戦国BASARA」の影響だかで、当地の大名:伊達政宗がすっかりイケメン・キャラクターとしてグッズ化されていたのは思わず噴いたのだけど、復興支援の義侠心はともかく、わざわざ“腐の属性”に捕まりに行く事も無かろうと、結局それら商品は何も買わなかったよ。
良いか?歴史上、貞山公は決して金田飛びや空中3回転ジャンプなどしないのである。またキオスクで販売されているスケールが1/6に程近い日本刀を模った豪華箸セットや、伊達・真田のペア・マグカップには決して目移りしないのである。(笑) 
まあ土地興し的にはジャストミートなマテリアルなのは間違いないんだけどね...。



まあ大災害の後でしたが、親族縁者には命を落とした方が居られなかったのが幸い。なんだかんだで駆け足の旅はこうして終わりを告げた。

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posted by まっぴら at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | タビ・ログ(微旅行記) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

国道の東...

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不謹慎な謗りは免れないが、先の震災で被災した仙台空港周辺を漂う機会を得た。
国道4号線から並行するように南北に走る国道6号線に乗る。このルート6。正しき呼称は仙台東部道路...現地の人は常磐道と呼んだりもする。津波被害に襲われた仙台市若林区一帯の住人は、この道路の盛り土構造が防波堤の役割を成し、その命を救われたと聞く。また津波の第一波から避難した方々は、その多くが6号手前で交通渋滞に巻き込まれ、第二波に脆くも車ごと海に浚われてしまったそうだ。ゆえルート6の東側。原形を留めぬまでに破壊された車の残骸と瓦礫、人々の無念や怨嗟の声を呑み込んだ曠野は海岸まで続く。空港に隣接した新興住宅地はこのように跡形も無い。

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TV報道のいう“爆撃痕”というよりは、神の持つ巨大な鍬だの鋤だので地表をそっくり薙がれた様な...。

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津波被害が齎せた混沌の正体は、濁実も清虚も入り混じり、要として知れない。...すまん。ボクのか細い言語概念をすでに超越している。

国道4号線に復帰する車中、 経営難で閉鎖されたボーリング場が、震災後、市だか県だかが急遽開放し、遺体安置所としていたのは紛れも無い冷徹な現実だった。未だに足が竦む思いでいる。ここにかの地より西方浄土に旅立たれた方々のご冥福を今一度...いや何度でもお祈りしたい。

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対向車は支援車輌や緊急車輌ばかりだった。それらを眺めながら、軽々しく「頑張れ!」等と言えない空気を肌身で知る。「見守る」などと上から目線もおこがましい。されば我々は痛み入り「寄り添う」事ぐらいは出来るのはなかろうか?言葉も途切れた物憂い気な空気が漂う車中で、シートに凭れて、捉え処の無い距離感にばかり思考を廻らせている自分に気が付いた。

 
posted by まっぴら at 00:12| Comment(2) | TrackBack(0) | タビ・ログ(微旅行記) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月17日

陸州雪譜

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さる14日〜17日まで休暇を取り、東北宮城県に帰省しておりました。関係各位。先の震災被害で大変なところに押しかけてしまいまして、どうもすいませんでした。被災見舞いと言ってもその実態は、懐かしい顔を前に、夜毎飲んでは遊び呆けているだけの不埒三昧、さながら無駄飯を喰らう忌竹(いみだけ)のような存在に過ぎませんでしたが...。(苦笑

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2日目など「タケノコさ、取らいに行くべさ!」などとY姉に誘われ、二日酔いで爛れた頭で裏山に分け入り、筍狩りに興じる。山の 斜面は見渡す限りの竹林。ほぼ白土三平の劇画の世界。地ゴ黙よろしくファッ●ン・タイガーこそ出現しませんが、熊やカモシカは実際に出るらしいとか。途中、サルノコシカケを見つけた。そういえばこの時期、蛇の姿がやたら多かった。

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ところどころ40度以上の急勾配なので 、うっかり気を抜いて足を滑らせ滑落したりすると、たぶん無事ではすまされない。今年のタケノコの発育は例年より遅く、まだ小さな物が多かった。しかし関東育ちのボクには、枯葉を縫って地表に突き出た筍の頭を見つけるは元より、どこからどこまでが他所のお宅のショバなのか?まるで判別が出来ない。
季節外れの藪蚊と戦いながらも、一回の収獲...Y姉の手並みの良さは実に見事なものである。

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さて、飲み食いほっつき歩いていた3泊4日でありましたが、直接的被災地なので、つい目を背けたくなる光景も至るところにあった。

あれ!こんなところにも地面からニョッキリと...!

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筍ではなく、恐るべき事にマンホールの人孔である。JR新幹線駅前、すぐ傍の歩道。新興住宅地の液状化、地盤沈下、あるいは急激な地圧に押し上げられた物か?(これよりさらに高い突出を見たが、その時は生憎カメラが無かった!)

だが驚くのはまだ早かった。こんな物、まだまだ序の口であるのを、この後ボクは痛烈に思い知らされる事となるのである。



posted by まっぴら at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | タビ・ログ(微旅行記) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月11日

悠久と有休の菖蒲月

奇しくもボクの誕生日と日が偶然かち合いますが、5/14()〜15()は第50回静岡ホビーショーが静岡ツインメッセにて執り行なわれます。ボクは残念ながら今年も参加しませんで、同じ日に有休を消化して土曜日から東北に帰省してしまいます。肥沃な土地を目指して西征を果たさず、北進軍。(笑)
行かれる方は是非存分に楽しんできてください。まあ模型は趣味ですので、例年参加せずとも、模型繁華の片隅で何かしらは作ってはいると思いますので。

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先の観音開きハッチの初期型「II号戦車 A〜C型 (フランス戦線)」はここまで進みました。

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シュッツミュッツェ(保護ベレー帽)を被せた初期のドイツ戦車搭乗員。身体はタミヤの付属キットそのままですが、頭はHORNETのレジンHEADに挿げ替えてあります。フィギュアの塗装は油彩の道具などは使わず、ほとんど既存のプラモ塗料の混ぜ合わせとブレンディング処理のみでしたが、非常に満足した仕上がりになりました。メインとなる車輌本体の仕上げもこの先まだ気が抜けません。U号戦車ゆえ、流石 ブリッツクリーク -Blitzkrieg=電撃戦の立役者ですね。制作ペースは快速進撃で非常に早い。ふと気がついたけど、1940年ドイツ軍のフランス侵攻作戦も実は5月中旬のこんな時期だったんですってね。(笑)

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それとは対照的に(笑)英印軍仕様のガン・キャリヤーの現在は〜こんな感じ〜。概ね兵士は塗り終えましたが、積載備品のチョイスにまだ頭を悩ませています。まあ「U号」の処理に飽きると筆休め程度にポツポツ進めています。他の2輌のガン・キャリヤーもそんな感じですから、その完成はほぼ1年ぐらいはかかるんじゃなかろうか?

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英印軍バイク伝令兵もそんな感じで、インドの歴史やガンジス川の流れにも似て源流も定かならず、本流・支流と日々枝分かれを繰り返し、悠久にして緩慢といった爛れた工作事情。(笑)

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posted by まっぴら at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モケ・ログ(模型log) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月06日

THE U号愛

小遣いの額面の乏しい少年時代に手に入るMMキットなんていいますと、歩兵進撃セット...戦車はドイツのU号戦車やM3スチュアートを購入する機会が割りと多かったでしょうか。自分...。
88mm高射砲や8輪装甲車などというと配備予算もいささかお高めで(笑)、我々より若干高学年のアイテムだった気がします。洟垂れのボク達からは、これ等のプラモキットを拵える先輩方が、凄く大人に見えたのを憶えている。設計図にある通り糊付け綿を車体の随所に貼って、マスキングを施し迷彩塗装だなんて(笑) 綿が剥がれず台無しになった方も多かったのでは?そうこう機甲師団を揃えている間に再放送で観た「コンバット」の影響で、ボクの興味は米軍方面に移行して行き、ついにはあの番組で敵役であったドイツ軍から離れてしまいましたが、時折当時を懐かしんで作る機会もある。

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最も考証にはなんら無頓着な為、前回TAMIYA MM 1/35「II号戦車G型  GermanPanzerKampfWargen II Ausf.G」などを作ったときは、搭乗員のフィギュアにうっかりシュッツミュッツェ(保護ベレー帽)を被せてしまった。これは独軍機甲の建軍、大戦初期から対仏戦ぐらいの期間。各車無線器材設備の充実によりヘッドホンが登場するまでしか使われなかったそうで、こういう辺りの知識が本来弱いため、飢狼の如きマニアの前でドイツ軍など得意げに語れない。

現在取り掛かっているガンキャリヤーやバイク兵はまだ完成していないのだけど、新製品で観音開きハッチの初期型「II号戦車 A〜C型 (フランス戦線)」が発売された事から、ちょっと浮気して弄繰り回している...っぅーか、もう色まで塗っちゃったりして。(笑) このところ程度の低い自由工作&塗装ばかりでしたが、時々着る背広の着こなしの様にパンツァーグラウやユニフォームブラックの色彩的窮屈さに憧れたりする事もあるんだ。

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旧グンゼ PANZER COLER「シュヴァルツグラウ(終売とか)」はイメージからは明るすぎ、市販のジャーマングレイは、サーフェイス下地の白が干渉すると、何故かグリーンが強くなる。結局基本色は自作調合でしたが、変化を求め前回の様なベタ塗りは避け、“クルップ社の鋼鉄”というイメージを絶えず意識している。考証性、その正確さは相変わらず欠けていると思いますが、あくまでイメージ重視のガチンコ対決。ほぼ10年ぶりなので自分でも完成を楽しみにしている。
posted by まっぴら at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モケ・ログ(模型log) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月03日

刈田嶺慕情

世は黄金週間でありますが、動かざること山の如く。それというのも月の中旬を見込んで東北に帰省したいが為。連日の報道映像に矢も盾もたまらず、内燃機関に火が入ってしまっているのである。もう辛抱ならん。なんとしても帰るぞ!止めても無駄だかんね。鮭の遡上と同じ様に、死力を振り絞ってでも帰るのである。余震の心配を諸人がしてくれるが、路上で死すとも故郷の地なら、決して悪い死に方ではないはずだ。
いささか大袈裟で悲憤気味でありますが、今回の北征にはそれぐらいの執念がかっている。もはや中毒と言っていい。

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しかし満足な額面の義援募金ですら怪しいワタシが、復興支援や炊き出し等を出来るわけでなし、トウシロがノコノコ行っても邪魔になっちゃうだけなんだけどな。お見舞いのつもりが歓待の逆襲を受け、アルコールを含んだスポンジのように座敷の隅に転がっているのが咳の山。(苦笑
posted by まっぴら at 21:47| Comment(0) | TrackBack(0) | デリ・ログ(日常log) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月01日

聖餐再禮


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またしてもインド料理店でランチを食らってしまいました。最近リピーター化しておる。(笑) 中央はランチメニューの里芋と鶏のカリー。右下はマトンカリーの中辛。辛さは5段階で、これは3段階。中辛ともなりますと尾を引く辛さなので、お代わり自由のナンを、3枚(このサイズ)平らげちゃった!という、驚きの人体の不思議。次回カリーは大辛にチャレンジ。(体調がよければ 笑)

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お土産はネパール産のビール「ネパール・アイス」(画像中央)。 世界最高水準の ヒマラヤの天然水を使ったムスタンビール。エベレストが描かれた綺麗なラベルでしょ。先日のキングフィッシャー・ビール同様、またキャビネットのコレクションが増えました。もっともビール瓶がコレクションで、中身は空なんスけど...。(笑 

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posted by まっぴら at 16:48| Comment(0) | TrackBack(0) | デリ・ログ(日常log) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする