
さて昨夜のNHK大河ドラマ「篤姫」第36話「薩摩か徳川か」。何でこんなに一生懸命観てしまうんだか、自分でも心根がよくわかりませんが、政争劇やら大立回り等、殺伐とした動乱期の幕末を、。煌びやか、かつ女性的なやさしい視点から描いた辺りが、万人に受け入れらた理由のひとつにあげられるんでしょうね。史実は史実として視聴者に迎合するゆるさではなく...まあ実際の末裔の方からクレームがつくことを恐れてか。(笑)
しかしながら 傾斜角のある歴史人物に対しても、どこか描き方に柔らか気や品がある事でしょう。
天璋院篤姫の生国が鹿児島なので、ドラマ性の部分においてその軸足が多少薩摩寄りなのは致し方ないにしても、割と幕末劇では大悪漢として描かれる頻度の高い桜田門外で暗殺された井伊直弼や、薩摩の島津久光公を擁護するような描き方をしているというのは、なかなか面白い新解釈。
心あらば しばし晴れよ 五月雨の 雲の奥なる 富士の高嶺
これは東下の際、実際の島津久光公が詠んだ詩。
昨日、京を発った薩摩藩士一行は、今頃来週の放映にあわせて江戸に向っておるところでげすな...とボケ爺さんのような事を書いてしまう。(笑) もっともエドに向かうと言っても「サライの空へ〜♪」の武道館ではありませんよ。(笑)
薩摩藩主島津久光公の刷り込みが、司馬遼太郎先生の時代劇小説「竜馬がゆく」や短編「きつね馬」にあったり、他局NTV「田原坂」(1987)で露口茂さんが久光公を好演して、先代の賢君斉彬公と比較され、兎角ズル賢く意地の悪いイメージがついてまわるのは常なのですけど、「寺田屋事件」有馬信七(的場浩司)以下誠忠組薩藩九烈士殉難者を絡め、実は彼等が朝廷の信認を自藩に受けさせたいが為に、 京都で暴発を画策し、故意に同じ藩の仲間に粛清されたかったという解釈が、実に見事でありました。
元より過激藩士の暴発は、主家への忠義よりでたもの。自分達が同藩の旧友に粛清される事によって、薩藩は朝廷より晴れて警察権を認められるわけですな。
京上洛にあたり過激藩士に上意討ちを断行した久光(山口祐一郎)が事前より、有馬からの親書で事前にそれを知っており、人知れず涙に暮れるという描かれ方は、ドラマにも小説にもかつてなく、これは傑出に値するかと。
久光は、うどさ(西郷)に「地五郎(じごろ=田舎者)」とか罵られますが、考えてみますにあのドラマの中では暗君ではなく、「たまたま先代が賢君であった」という、そんじょそこいらに居られますごくごくありふれた平均的な殿様なんですね。先君斉彬公が偉大すぎちゃったわけです。 先君の息が掛った家臣を従え、絶えず比較の眼にさらされてしまう辺りにこの御仁の悲劇性があるんじゃなかろうか。
攘夷の風雲の中、来週はいよいよエゲレス人を斬ってしまい薩英戦争の発端となる、なまむぎなまごめ「生麦事件」。 今回以上に納得がいく構成を期待したいです。
PS:でもホントは薩人はあんなに「議」は言わもさん。 「議論は恥、寡黙を是」と士道教育されているので、あのようにぺちゃくちゃ天下国家を論じ合わないんですけどね。各人黙っていちゃ番組が成り立たない。チェストーっ!























