2008年10月05日

大河「篤姫」(第40話)

今宵の「篤姫 第40話 息子の出陣」は、展開が速いのでびっくりしました。

滝山からの「一日も早く世継を作るために、将軍家茂に側室を持たせたらどうか」の提言に、天祥院は「夫婦仲の睦まじさに水を指すべきではない」ときっぱりと拒絶しました。ここで朝廷の格式を巡って反目していた勧行院(和宮の正母)の信頼を取りつけると同時に、大奥筆頭御年寄である滝山の立場というのが明確に打ち出されますが、この方にとっては自身の人生そのものが「江戸城奥の円滑な運営」に捧げられているような気がしてなりません。実際の滝山は結婚もせずに、官軍江戸城明け渡しの折、篤姫すら立ち退いた城内でギリギリまで公務(清掃)を仕切っていたというから驚きです。
原作の宮尾登美子さんはさる週刊誌のインタビューで「情報集積力と冷静な対応や判断が出来る滝山が一番お気に入り」とおっしゃっておりまして、今日の展開ですと「流石、筆頭御年寄。なるほどなあ。」という印象を受けました。現代に例えるなら斜陽産業の事務方総取締役みたいな感じでしょう。

御公儀内では和宮様御懐妊(誤診)と将軍家茂の出陣。外界では2度目の遠島を申し付けらていた西郷が復職、長州過激分子の暴発による蛤御門の変、第二次長州征伐へと慌しく話が進みます。来週が「薩長同盟」ですと、たった3話しか登場していない坂本竜馬(玉木宏)が生前手掛けた事業のほとんど(描かれていない)が凝縮されている。(笑)
家老職に任ぜられた小松帯刀と京の芸妓お琴との運命的な出会いも描かれておりました。朝の連続TV小説「だんだん」といい、なにやらこの局は昨今舞妓づいてます。取材と称して接待とか受けてないだろうなあ?(笑)

第二次長州征伐に出陣する家茂が、おそらくは日本初であろうツーショット写真を取る一幕がありましたが、昭和33年の増上寺徳川将軍家墓地改葬の際に実際の家茂公の墓所から出土した肖像写真に繋がる演出なんでしょうか?

病に伏した観行院の容態と、大阪城に入城する事になる将軍家茂のその後が気になります。この当時「脚気が死病」というのはごく最近に知りました。先週、京都に上洛した家茂に江戸の甘菓子を届ける台詞がありましたが、かえって病状を促進させる効果があるそうですね。
posted by まっぴら at 22:00| Comment(0) | TrackBack(1) | テレ・ログ(TVlog) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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篤姫 第40回「息子の出陣」
Excerpt: 今回のメインは、小松帯刀でしたね。 蛤御門の変で危機にあった御所を小松帯刀を中心とする薩摩藩が救い、さらに街の人々に米を分け与えるという優しさをみせたということから、彼...
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