2008年10月13日

前撃針魂っ!「S&W No.2」

S&W No2a.jpg


昨夜の「篤姫」でついに火を噴いてしまいました。このモデルが発売されたことにより、歴史考証的には坂本龍馬は演じやすくなりました。一般に「龍馬's リヴォルバー」と喧伝されていますが、実際のところはよくわかりません。たぶんこの形式...大凡はコレなんではないかと...。

マルシン「S&W No.2

No.1(ファースト・モデル)は1857年に完成したシングルアクション式リボルバー拳銃。S&W社の第一号になるわけです。口径は22口径で7連発。リム・ファイヤー(ヘリ打式)方式を採用しました。リム・ファイヤーは薬莢底部周縁の何処を叩いても撃発する構造でしたので、調整を必要とするピン打式薬莢よりも手間の要らない構造でした。

銃本体を大型化、32口径にボア・アップしたNo.2(セカンド・モデル)は1865年に開発されました。こちらは6連発。マン・ストッピング・パワーを誇る45口径に慣れした米国陸軍の制式採用には至りませんでしたが、カスター将軍を初めとする多くの将校・兵士達にはディフェンス用やバックアップ用として挙って購入されたそうです。
南北戦争が終結すると兵器市場がだぼついたのか、世界的に輸出の枠を広げたようで、文久年間に幕府使節随行員として上海へと渡航した長州藩の高杉晋作が購入したのもなるほど頷けます。

S&W No2b.jpg

これが後に坂本竜馬に譲渡され、伏見寺田屋において幕府役人に襲撃された際には、この形式の銃を発砲して難を逃れたそうです。
もっとも弾薬装填は後装中折れ式で、事前に予備シリンダーを用意しておくと便利かもしれませんが、装填時に指を負傷した竜馬はうっかり輪胴(シリンダー)を取り落とし、窮地に立たされたとありました。この乱戦時に本銃もしくは銃部品を紛失してしまった形跡があり、薩摩藩に匿われて鹿児島に逃避した際、購入もしくは薩摩の方より再譲渡された可能性もあるでしょうから、最初に書いたように「本当に伏見屋で使用されたモデルかどうか」までははっきりしないのです。そもそもどういう保管状態で高杉から譲渡されたシロモノなのか?歴史の闇ですね。(※)
ただこの「No.2」の実銃が現在「龍馬の護身用拳銃」として展示してありますよね。いずれにせよ竜馬に限らず、幕末期の日本には相当数輸入されましたから...。

マルシンのNo.2モデル(発火モデル)のカートリッジは、昔ながらの前撃針タイプです。対比物がないので大きく映りますが、かなりちっこい銃です。用心鉄が無いのは大昔のデザインだからで、まだ用意するだけの発想自体が無かったのかも。ヒンジがつけられたフレームのABS材質が華奢なので、取り扱いがおっかないですね。事実初回出荷時、フレーム先端部の破損が相次いだそうで、急遽バレルとフレームを分離させた梱包に変更されたんだそうです。

(※)残された書簡には輪胴の装填孔が描かれている。
wikiには、鹿児島滞在時〜遭難時には22口径(No.1)を携帯していたとありました。
posted by まっぴら at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 前撃針魂っ!(modelgun) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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