
ワタシ、上野の「五重塔」は知っていましたが、この“ウエノトーショーグー”ってのは初めてでして...。そもそも「東照宮」ってのは「徳川家康」を神(東照大権現)として祭ってありまして、有名な所では日光東照宮や久能山東照宮があまりにも有名です。
この上野東照宮は寛永4年(1627)に武将「藤堂高虎」によって造られたそうなんです。この「藤堂高虎」って方は父親が元々浅井方の武将なんですが敗亡後、織田信長の甥“信澄”や秀吉の弟“秀長”に仕えておったそうですよ。(「渡り武者」と言うそうなんですが)時流を看る才に長けていて、「武将」というよりは「投機家」としての側面が強い。秀吉が没するとにわかに同僚であった「徳川家康」に急接近し、臣従までしちゃう。その場その場の権威にうまく取り入る事によって、後々の立身出世の道を切り開くタイプなのですね。京都の宮廷情勢や西国大名の動向など...所謂よく言えば「政界通」。悪く言えば「徳川家の間諜まがい」の事を殊更に熱心にやっておりました。歴代の譜代大名ではなく新興の外様大名ですから、死に物狂いで忠誠心を演じ続けないと、猜疑心が人一倍強い主君にお家が取り潰されてしまう。これは廃絶されないための彼流の保身術なのですけど、“処世”というか“敬慕の念が人一倍深い”というよりは、もう主人である家康を“自己の宗教”として、ついには身体に取り込んでしまった感があって(これにより外様大名の代表扱いになるわけですが)、家康の死後、いち早く築城縄張り(設計)の才を生かして自分の屋敷内へ祠を造り、「東照大権現」を藤堂家の神として崇め奉ってしまう程だったのです。
これを3代将軍家光の時代に造りなおしたのが現在の「上野東照宮」。要は日光や久能山の東照宮の規模を縮小して建築した“プチ版”なわけです。195基ある石灯籠の並んだ長い参道を進んでいくと青銅灯篭50基があります。突き当りには本殿・金箔の唐門(唐破風造四脚門)があり、左甚五郎作の昇龍(右)孫龍(左)が彫られております。(画像上)お化け灯篭やぼたん園などで有名ですね。

まっぴらさんが吹奏するのは深川材木組合の寄進になる神楽殿の舞台だとの事。お客は戦前・戦中派と思われる下町の爺ちゃん婆ちゃんばかりでした。あくまで「戦争反対」の集会でしたので「憲法九条の理念を実現うんぬん〜」とか「歴史の克服を踏まえた友好的未来うんぬん〜」とか詳しい事はよく分からず、何やら小生場違いの感じを受けました。てか私等親子は暑い日差しの中「堪エ難キヲ堪エ忍ビ難キヲ忍ビ〜まっぴらさんの活躍を観に行った」だけなので、こ難しい理屈はよくわからないのナリ。それにしても暑かったねぇ〜。

全国的に戦没者に追悼を捧げる(であろう)正午12:00きっかりに“まっぴらさん”が登場し、トランペットを吹奏しまくりました。格好よかったでぇ〜。日清・日露戦争当時の「軍隊喇叭」も登場して、起床・就寝喇八が上野東照宮の境内に響き渡りました。ええでええでおっちゃん格好ええで!最後の吹奏は「アメージング・グレース」。
“まっぴらさん”お疲れ様でしたぁー!また喇叭の素敵な音色聞かせてくださぁーい!!





















『難行苦行有っての平和』!?ってのが、実感
出来たのかなぁ。なんて無責任ですよね。
これに懲りずに、またの出会いを出来ますことを楽しみに致しておりますね!!
亡国の
魂鎮まれと
吹く調べ
民よ民よと
哭く憂い蝉
ぼうこくの
たましずまれと
ふくしらべ
みん(たみ)よみん(たみ)よと
なくうれいぜみ
おそまつ!(笑)
青物横丁web発句道場 まっぴら亭“痴呂利庵”
叭の響き
平成れ世や
夏木立
はのひびき
たいらなれよや
なつこだち
粗茶ですが...。(笑)
青物横丁web連歌会 まっぴら亭“江ぃ利庵”