2008年09月19日

川崎キ45改二式複座戦闘機「屠龍」(その2)

ニチモの川崎キ45改二式複座戦闘機「屠龍」は、その後どうなったの〜?って怒られてしまうのかも知れませんが、もうダレちゃってダレちゃって幾星霜。何せ前回はこれぐらい前でありました。
http://mappiragomen.seesaa.net/article/20461814.html

その間ハセガワさんからもヨンパチ製品が発売されてしまいました。まあこちらもしっかり購入こそしましたけれど、もうしばらく屠龍は見たくないです。(笑)

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長い事、埃を被ってたんですが、棄ててしまうのも居た堪れなくて、取り合えず最後まで工作&塗装。ピトー管はまだ作ってないです。清洲の第5戦隊・夜戦(夜間迎撃)仕様に塗装してしまいました。この機体は重量軽減の為に塗装は剥いじゃったそうですね。ですから銀色の肌地。下面はALLブラック。
ただ実機は機銃を撤去した無抵抗機(特攻機)なのでしょうか?無線アンテナを切り摘め、後部旋回銃座付近はカバーが施されておりました。我が輩はもう体力がないので(苦笑)無視しておりますが、再現される方はプラ板のヒート・プレスとか、パテ削りで再現されると宜しいかと...。

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2006年07月08日

川崎キ45改二式複座戦闘機「屠龍」(その1)

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その進捗スピードは実に牛歩の如くではありますが、川崎キ45改二式複座戦闘機「屠龍」(ニチモ)の制作に勤しんでいます。先の「ブルー・スピナーのアイツ(その1)」に書いたように、考証的に不明瞭な箇所が多いので、今後の資料の発掘と共にゆるりと(あちこちに浮気をしながら 笑)取り組んでみようかと思っちょる次第でございます。ちょいとデッチ・アップながらも、機内の作りこみを行いました。以下、下の画像。
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まず操縦座席。革製座布団(?)と背中のキャンバス製の背当て...?とでもいうのでしょうか?コレをポリ・パテで再現しました。後、操縦者用の安全帯(シートベルト)ですわね。マスキングテープを溶きパテで湿らせ接着・塗装しました。バックルはちとオーバー・スケールですが1/35のエッチング製の物。(笑)

コクピット写真が掲載された資料写真集を参考にしましたが、操縦桿を除いた操縦席周辺のレバーやコックなど、だいぶ割愛・省略されている感があります。極力再現してみました。でもやり過ぎると胴体を張り合わせた時に、機体の壁面に干渉します。塩梅が難しいですね〜。

同様に座席後方、防弾板との間には作動油タンクや酸素ボンベ、配線や配管が網の目の様に縦横無尽に張り巡らされております。これは今回再現できずついに挫折しました。コレ弄り出すと、本当にキリが無いのですよ〜。(泣)

次が後方の同乗者座席。背持たれは切り取ってポイした後、真鍮線で改めて工作。キャンバス地の背持れになるようですが、これも先のシートベルト同様、マスキングテープ攻撃。座席の向きは本当は逆で、これは旋回銃架に九八式7.7粍旋回機銃が装備され、同乗者は無線手と機銃手を兼任するそうですが、「キ45改」も「丙型」の辺りは操縦手が一人で搭乗する事も多かったとか?←この場合“特攻機”なのだろうか...?

え〜と。キットは裏地のモールドがなく、ツンツルテンでしたので、肋材を再現しました。これはプラ板を細くただ短冊状に切っただけの物で、三面図などを参考に、キットのリベット痕と照らし合わせながら配置したのですけれど、風防で隠れてまず見えません。(笑)...ですが、まあチラリズムとでもいいますか?本人的に納得できればそれで良し!

最後は配電盤。まあこれはモールド事情が良好なので、塗装で勝負ですね〜。先の記事で、《通常ですと、腐食に弱いジュラルミン材には「淡青色透明(青竹色)」という腐食保護塗料を塗布するのですが、昭和十八年中期以降は増産対策の為、生産工程の簡略化が計られ、「淡青色透明」は廃止され、無塗装を“標準”と定めたみたい》と書きましたが、《国防色〜ベタ塗り》はどうもフィールド・グレイ色に近いらしいと分かりました。...ですが主計器板、補助計器板、配電盤は、大戦中全般を通して、一貫して“黒”onlyだったみたいです。

...と、まあこんな具合。小生寄り道も多い性分ですので、たぶん年内一杯(あるいは来年まで)ずっとやっているだろうなあ〜。(溜息) 

ひとつ“気長”にお付き合いください。(礼)
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2006年05月28日

龍ヲ屠レ

この春先に読んでいた本数冊の中に、樫出勇氏著の「B29撃墜記」(光人社刊)という戦記ドキュメントがありました。これは太平洋戦争末期、中国大陸から梯団(ていだん)を為し、幾重にも折り重なるように北九州や近畿工業地帯を空襲せんと飛来した“超空の要塞=B29戦略爆撃機”の大編隊を、二式複座戦闘機 キ45改「屠龍(とりゅう)」を駆り迎え撃った、飛行第四戦隊・本土防空隊の熾烈にして勇猛果敢、そして悲壮この上ない戦いの日々を克明に綴った空戦記なのでした。

実話の戦記本ですから、迂闊に「面白かった」と書くと、あまりに不敬で不謹慎極まりない話になってしまうのですけど、ついつい夜が更けたもの忘れて読み耽ってしまいました。
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この本の影響で、それまであまり関心のなかった「二式複座戦闘機 キ45改「屠龍(とりゅう)」という機体に単純に興味が湧いたわけです。この実機が実際運用された背景や経緯を簡単に書き留めてみますと、原型となった「キ45」はその当時(昭和十三年当時)の世界各国で開発されていた「双発複座戦闘機」に刺激されて、陸軍部内で「爆撃機援護用の長距離戦闘機」として使うべく、川崎航空機に命じた開発した戦闘機だったそうですね。「キ45」は結果、主翼部のナセルストール注.)の問題やエンジンの不調・格闘性能の能力不備から、採用には至らなかったそうですが、本来の援護支援任務から戦闘爆撃機的役割に変換を図った「キ45改」は、「二式複座戦闘機 屠龍」としてようなく採用に至った経緯を持つそうです。
ただその頃は航続距離の長い「隼」などが重宝されていたので、もう役割的にはかなり中途半端な存在になり、船団護衛や今回のような爆撃機の邀撃(ようげき)任務に宛がわれたんだそうです。

注.飛行姿勢の変化等の条件により、エンジンカウリング(カバー)からナセル(エンジン取り付け部)に至る空気の流れが乱れて主翼上面の空気を剥離させ、揚力を奪い墜落につながる現象。 )

決して大きくはない機体に、機首に20mm機関砲二門、あるいは機体下部に20mm機関砲一門、機体上部に上向き20mm機関砲二門、後席に7.7mm旋回機関銃一門を詰め込んだ、その吸血の為の巧緻さは、機体に描かれた毒々しい迷彩と相まって「意地の悪い猛毒蛇」の髣髴とさせますが、更に改良を加えた本機「丙型」は、翼幅43mにも及ぶ巨人機「B29」の翼の付け根をめがけ、乾坤一擲の一撃を加えんが為に、手動装填の37mm戦車砲改造砲(!)を搭載しておったそうです。
この一発を外すとニ撃目は容易に加えられない=巨人機の速度には追いつけなかったそうですし、防弾の無い翼タンクにひとたび被弾すると「屠龍」は「ライター」と渾名されるほど大変火の回りやすい脆弱な機体だったそうですから、相当数の被害も被った。自爆や体当たり攻撃なども数知れず。そんな中で生き残れた方々というのは、大変運の強い方、あるいは相当の技量の持ち主だったんでしょうね。樫出勇氏は夜間地上の照空灯部隊と連携し、死角の無い“超空の要塞”「B29」を、実に26機も撃墜し生還を果たした陸軍航空・本土防空のエースだったわけです。
しかしながら「〜賛美」を助長するつもりは毛頭ありません。(汗々)
 
本文中にもありましたが、この当時、不惜身命の決意を秘め祖国防空の任にあたった「屠龍部隊」隊員は、自らの闘志が漲るが余り“自己犠牲の際には必ず敵機も道連れ”という観念に基づいて任務を全うし、良しにつけ悪きにつけ、そのような観念を持つ事が、国を挙げて“名誉”とか“美徳”とされ讃えられた時代のお話ですから、“世界平和”とか“国際協調”、あるいは“人命尊重”を「尊し」と教育された現代人や、教育されたにも拘らず風化し忘れかけた若者の感覚では、ついに理解出来ない行為かもしれません。

同じ国で起きた悲劇でありながら、現在の中東情勢か何かの様に、昭和初期をまるで遠い異国の出来事のように、まったく別の民族として傍観している...う〜ん。焦点が今ひとつもふたつも合わない感覚、あるいは感想をお持ちになられる方もおいでかもしれません。

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さて、勇敢な本の話はここまでとして、別に勇敢では無いワタクシは極めて平和的に「二式複座戦闘機 キ45改「屠龍(とりゅう)NICK」の模型を作ってみようと思い立ちました。キットは日本模型(ニチモ)の1/48です。古いキットですのでもう手に入らないだろう...と思っとりましたが、模型屋さんの御尽力もあってか?意外と容易く安価で手に入りました。

...ですが、流石ニチモだけあって“ニッチモさっちもいかない”というか?「おのれ!Nick機(憎き)ヤツっ!」とでもいいますか?盛んに駄じゃれを飛ばしたくなるくらい、現在のTAMIYA/HASEGAWA製品の取り扱いに慣れていると、かなり組み立て辛いキットだと思いました。
枕頭鋲痕まで再現してある繊細な凹モールドは、成型時金型に負担をかけないようにか?かなり柔らかいプラスチックの素材を使用しています。案の定、反っているので「無理苦理合わせよう」と力をかけると簡単に「パキッ!」と逝きます。ですから、まるでいかがわしいおやぢのエゲつない風呂遊びの様に一緒にお風呂に入って(笑)お湯の中でゆっくりマ〜タリと反りを修正します。また接着後の変形を危惧して、桁(ケタ)をかませようかと思っとります。
また機内や主脚・車輪格納室・外方脚扉裏には、肋材等のモールドがまったくありません。昔のキットですから肉が不均一に厚い箇所もありますね。これをリュータで削り込み、肋材等はある程度再現(デッチ・UPですが)しようかと企んでいます。

「凄いねー。“上級者向け”のキットをついに始めちゃったのだねー。」と、師匠筋にあたる先輩モデラーにからかわれて、なんとなくバツの悪いまっぴらなのでありますが、一体本当に完成するのでしょうか?(笑) 完成は例によって未明となると思いますが、ここしばらく孤軍奮闘、頑張ってみたいと思います。
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2006年05月13日

中島キ44二式戦闘機「鍾馗」(その5)

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完成した喜びのあまりぶぅんぶぅん、かわせみぃ、ぶんっと飛おぶぞぉ〜と替え歌を唄っておりましたが、ここ2ヶ月ばかり取り組んでいた“緋袴(ひばかま)”こと、「中島キ44二式戦闘機 鍾馗 U型丙 飛行第246戦隊 第3中隊 昭和二十年 大阪 大正飛行場」のプラモデルが昨晩ようやく完成いたしました。(爆泣)
実機は機械技術の立ち遅れからか?常に出力不足に泣かされた日本軍機の中にあって、かの機は大型爆撃機用大直径発動機(エンジン)「ハ109」(1.450馬力)を搭載した、先太怒張型・やる気満々の“超絶倫機”でございました。(笑)
今となっては、かなり仕上げが稚拙な箇所や画像やらを、拙い解説でお送りする事になるかとは思いますが(笑)、もし宜しかったらチラリとでも眺めていってやってください。

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九七式戦闘機(キ27)〜一式戦闘機「隼」(キ43)へと続く「軽戦(軽戦闘機)至上主義」の中島戦闘機王国の系譜。ここで求められた「軽量機体→格闘戦重視」の考え方は、第一次世界大戦時代から何ら変わらぬ戦闘機の基本的性格なわけですが、この「二式戦 鍾馗(しょうき)」(キ44)は他機とは趣を異としておりました。これはこの戦闘機が設計段階において、従来の“空戦性能”ではなく“高速と上昇力”のただこの二点に焦点が絞られたからなのです。
 
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では、この戦闘機は端から「迎撃機(インターセプター)」として生れ落ちたのか?とつい考えられがちですが、「格闘性万能ばかりではなく、速度と上昇力、それに強武装の重戦闘機も必要」という用兵側のニーズに応じて、それのみに特化した機体だったからです。
昭和十三年に計画・試作され、十七年に採用されたと言う話ですから、戦後に“ロケット工学の大家”となられた糸川秀夫氏を含む、中島航空機の技術陣にとっては、このキ44を実用化に送り出すまでは実に大変な“難産”だったのでしょう。

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昭和十五年の「陸軍現用主要飛行機定義」において、「戦闘機ハ通常、戦闘機、戦闘機、遠距離戦闘機ニ区別サレル〜」とあり、この「重戦闘機」は「主トシテ敵爆撃機ノ攻撃及ビ軽戦闘機トノ協同戦闘並ニ我爆撃機ノ護衛ニ任ズ」と定義され、「二式戦 鍾馗」」は開発される経緯に至りました。
しかし大型爆撃機用大直径発動機(エンジン)「ハ109」搭載からくる燃費の悪さ=行動半径の貧弱さが、広大な戦場においては用途や守備範囲を狭くしていた感もありました。
またひとたび戦場においては、従来の性能に加えて「やはり敵単発戦闘機に勝る空戦能力を!」と更なる改良が要求されたそうですから、本末転倒!
ただでさえ思考の柔軟性を欠きがちな陸軍当局は、自らが分類を括って定義しておきながらも、「二式戦 鍾馗」の特異な資質やその運用・用兵方法自体を今ひとつ確立...というよりは、根本的によく理解出来ていなかったみたいですね。(笑)

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このように、あいまいな「定義」の狭間に生れ落ち、用兵者側の終始一貫性を欠いて已まぬ運用思想や用途目的、無責任・無理解の評価の中で、悲運に泣いた傑作機が本機だったわけなのであります。

奇しくも戦争中盤以降、諸外国が「理想」と標榜した空戦体系は、かつてこの「鍾馗」で確立するはずであった“エンジン出力にものを言わせ、強武装の火力で一気に制圧する一撃離脱を有利”とした戦法へと大きく変貌を遂げ、格闘戦主体の「零戦」、「隼」といった日本が世界に誇る軽量戦闘機群を一気に時代遅れの物へと取り残してしまうのが、何とも歴史の皮肉なのでありました。

「中島キ44二式戦闘機 鍾馗」は実用後試験的にマレー方面に派遣され、シンガポール・ビルマと転戦しましたが、昭和十七年四月のB-25による「東京初空襲」後、本土防空任務に回されました。関東上空における独立飛行第47戦隊(かわせみ部隊)の活躍は有名ですが、この他、第9(中国大陸)、23(関東及び北九州地区)、29(比島及び中国大陸)、70(関東及び鞍山地区)、85(中国大陸)、87(蘭印)、104(鞍山地区)、246戦隊(比島・中京及び阪神地区)、更にはB-29に体当たり攻撃を敢行した震天制空隊などが本機を使用したそうです。
もう少し詳しく続きを読む(笑)
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2006年05月07日

中島キ44二式戦闘機「鍾馗」(その4)

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中島キ44二式戦闘機 鍾馗 U型丙 飛行第246戦隊 第3中隊 昭和二十年 大阪 大正飛行場」〜。ワシャは“緋袴(ひばかま)”と呼んでいるのですが、その後の進捗状況はというと...まああまり芳しくないというか?代わり映えが無いというか?何やらこの連休中に遊び過ぎて、今になって手付かずの宿題の量に嘆く小学生のような気分でごぢゃりまする。(苦笑) 
多少なりとも前回より進展したところは、“緋袴”の由縁たる主脚を接着した事と、塗装では再現不可能な細かいデカール張り、クリアー掛けをした事ぐらい。
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本当のところ、やはり「うぎゃっ!」一度投げ出しかけて、片手間(気分転換)に全然違うヒコーキを作っておったんですが、コチラの方が完成が早いかも知れません。(いい加減だなー!)
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コチラの方は後日、日を改めてレヴュー致します。

さて「鍾馗」。本日は風防窓枠のマスキング作業中。一両日中...う〜ん...。今週中には(笑)たぶん完成すると思います。たぶん...。


じゃあ、なんで「二式小咄」なんぢゃい!と怒られてしまいそうですが、実はコレがようやく届いたんです。
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日本模型(ニチモ)の「1/48 二式複座戦闘機 屠龍(とりゅう)」。
陸軍機唯一の制式双発複座戦闘機です。「鍾馗」を「二式単戦」と呼ぶならば、この「屠龍」を「二式複戦」とする呼び方もあります。最近我が家の方ですと、店頭ではさっぱり見かけなりましたので、模型屋さんから「届いた!」と連絡を戴いた時は、あまりの嬉しさに年甲斐もなく小躍りしてしまいました。昔の懐かしキットでありながら、機体全体にリベット痕を再現してある気合の入りようには、正直びびりまくりでございます。

...というわけで、ここ当分の間は「二式の呪縛」あるいは「〜迷宮」から逃げ出せそうも無いオバカなまっぴらでございました。
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2006年04月12日

中島キ44二式戦闘機「鍾馗」(その3)

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中島キ44二式戦闘機 鍾馗 U型丙 飛行第246戦隊 第3中隊 昭和二十年 大阪 大正飛行場」。その後は特別変わった進展はありませんで(苦笑)、ここ2週間ばかりチンタラと、主脚と主脚覆(カバー)を塗っておりました。「日の丸」国籍マークと同じ「68 モンザレッド」と味方識別帯に使用した「58 黄橙色」のツートン・カラーです。

主脚覆(カバー)には機番が描かれているようですが、これは流石に“塗り”では無理。(笑) それで何かしらのデカールを転用しようと探していました。なかなかオリジナルに近い物...まあ程よいサイズの物がないので諦めかけていたところ、偶然P・T(ピットロード)の1/700「U.S NAVY MODERN 現用アメリカ海軍艦船用デカール」のハル・ナンバー(艦首番号)がちょうどよいサイズであったので、これを貼り付けました。実際はもっと縦長で丸みも帯びているのですが...。まあいいか...。

「鍾馗」は大馬力エンジン搭載しているだけあって、最大速度は元より、着陸速度は現今のセスナ機の巡航速度並みだったそうです。(これで「視界が悪い〜」のだから始末が悪い...怖) 主脚は他の機体に比べてガッチリした“片持式フォーク”にはなっていますが、それでも着陸はかなり怖かっただろうなぁ〜。頭デッカチな機体デザインですから、重心は前方にかかるんでしょうかね?尾輪脚は恐ろしく華奢な印象を受けますけれど...。

まあ今後もボチボチ...。
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2006年03月28日

中島キ44二式戦闘機「鍾馗」(その2)

「デカールの色褪せが嫌なら、“塗り”が良いよぉ〜。」なぞと、先輩モデラーWに教わって「じゃあ頑張って塗りまーす!」と気安い気持ちで、全部塗りで始めてしまいましたが、dでもないマスキング地獄にハマってしまいました。先程までマスキング・テープぐるぐる巻きのミイラ男さん状態だったのですが、基本塗装の工程がほぼ終了したので、思い切ってマスキングを全部剥がしてしまいました。さてと...。出来映えはどないなもんでしょうか?

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これが今回、制作途上の「中島キ44二式戦闘機 鍾馗 U型丙 飛行第246戦隊 第3中隊 昭和二十年 大阪 大正飛行場」の全容なのです。第3中隊色の“黄色いスピナー”が目新しく新鮮に感じます。でも本当は「飛行第246戦隊」に配備した「鍾馗」は“望遠鏡型射撃照準器”の「U型甲」なんスけどね。(笑) 同隊は二十年一月頃から「四式戦 疾風」も併用して、本土防空任務に臨んだんだそうです。

しかしそれにつけても、やたら頭が超デッカイ飛行機ですねー。(笑)何か海の中の生き物にこんなカタチのヤツがいなかったっけか? 

しかし完璧にマスキングを施したつもりでも、毎回何かしらの“穴”はあるものでして...。(苦笑) 細々とリタッチがかなり面倒臭そうな気配です。配色を書き留めてみますが、ほぼ前回の「三式戦 飛燕」の工程と同じ。機体に塗装した「8 シルバー(銀)SILVER」に白黒混ぜ合わせて、何種類か用意しました。当時のモノクロの資料写真を見ると、ポリッシュかける加減が各部によって違う印象を受けたので、明度を変えながら吹き分けてみる事にしました。脱出用扉や点検作業口などは、機体とは「別素材のように〜」塗ってみました。この作業で単一な機体平面に多少明度差が生じ、微妙ながらデコレーションが出来ます。まだ未処理ですが、主翼、機関砲点検窓と外翼結合部覆も同様に塗り分けると(史実は兎も角)ポイントUPに繋がるかもしれません。しかし銀の顔料は定着が悪くて、触ったり擦ったりするとOUTなので、クリヤー・コーティング処理をするまでは一苦労です。

塗装は下地を作った後、パネルライン周囲を大雑把に暗色(黒に限らず)を吹き付けます。そこを完全に潰さず「薄っすらと残すように〜」して基本塗装に踏み切るわけなのですが、これは現用ジェット戦闘機模型の制作時などに良く観られる技法でして、私の様にスジ彫りに不慣れで、細かな墨入れが面倒くさい未熟モデラーにとっては、正にうってつけの技法なのです。
ですが、それに反して若干の“落とし穴”もありますです。これは実際塗布して資料写真に照らし合わせてみると、「必ずしもこうは映らない」ので、お分かりになると思うのですけど...。まあ、臨機応変と言うか?変則的にこの工程に縛られず、塗装される方が宜しいのではなかろうかと思います。

フラップ・方向舵などは、設計図の指定通り「128 灰緑色 GRAYGREEN」です。きっと昭和十八年度の生産性向上化対策以降の資材不足から来る再生部品や別素材なのでしょうね。

キットの「日の丸」国籍デカールはエンジに近いくすんだ色合いでしたので、今回吹いちゃったのですけど、どの“赤”がいいのか分からず、数色購入してしまいました。「3 レッド(赤)」、「68 モンザレッド」、「79 シャインレッド」、「327 レッドFS11136」などなど...。試し吹きの後、その中でも今回は「68 モンザレッド」を使ってみることにしました。カウルフラップ、や尾輪柱点検窓から垂直尾翼にかけての前面、胴体帯はこれを塗っています。(蝶型空戦フラップを保持するガイドレールもこれ)

今回「日の丸」を吹き付けるにあたり、よくエアブラシ作業などで使われる0.15mm厚のマスキング・フィルムを使用しました。(サランラップの厚いヤツですね。)これを型紙を当てて、切り抜いて使用しました。 素材が透明ですから、透けて中り(あたり)が付け易いので重宝なのですが、そもそも素材がビニールですから、無理に引っ張ると形状が伸びて歪んでしまうのがネック。おかげで胴体「日の丸」が少し歪んでしまいました。さて、どうやってリタッチしていいものか...?(泣)

尾翼のマーク、「赤丸に片鎌槍」。簡単な図案なのですが、何せマスキングも吹き付け塗装も細かい作業になりそうなので難航しそうな気配です。赤丸はもう少し大きかったかな?黒色で「片鎌槍」の図柄が入りますが、これは確か「朝鮮における加藤清正公の虎退治」に因んだ物と資料本で読んだ憶えがあるのですが、詳しくはよく分かりません。もし間違っていたら御免なさいです。

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今後の作業と致しましては、銀地のリタッチ・ワーク。(エッジは事のほか剥がれやすい) ウォッシングして墨入れの後、ラッカーのクリヤーを塗布。(これで不安定な顔料を要した銀地をコーティング)次に塗りでは不可能な細かいデカールの張り込み。その後、今度は水性クリヤーでコーティング。研ぎ出しと...。
まだまだ完成までの道程は長く険しいのでありますぞ。ヘタっぴいはヘタっぴいなりに...。
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2006年03月05日

中島キ44二式戦闘機「鍾馗」(その1)

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日を改めました。(笑)
息せき切って購入した割には、最近さっぱり制作の手が止まってしまった感がありますが、ボクは現在1/48「中島キ44二式戦闘機U型丙 鍾馗」の模型に着手しています。この飛行機の模型(1/72)は、その昔、父親に塗料込みで始めて買って貰った事がありまして、完成した時はやたら嬉しかった記憶があります。本棚の上に飾っておりましたが、次第に埃っかすになりやがて捨ててしまいました。店頭でキットを見かけては「また作りたいな〜」と思い続けて幾星霜。ですから、ちょっと思い入れがある飛行機模型です。

妙に“頭でっかち”、申し訳程度の“小さい主翼”、互い違いに配置された“垂直・水平尾翼”と実に不思議なシルエットを持つ戦闘機なのですが、これが日本最初の「重戦闘機」なのでした。陸軍が呼ぶこの「重戦闘機」という不思議な総称は、海軍で言うところの「局地戦闘機」。現在においては、爆撃機を迎え討つ「迎撃機 intercepter」という分野にカテゴライズされるのでしょうか?

中島キ44二式戦闘機 鍾馗」は、大型爆撃機の大直径発動機(エンジン)「ハ41」を装備し、その上昇力高速急降下性能を利しての“快速一撃離脱攻撃”に無類の強さを発揮しました。反面、格闘戦を尊しとする“軽戦闘機至上主義”が蔓延る陸軍内部においては、その性能の積極的活用を敬遠した感も大で、馬鹿っ速い着陸速度低航続力旋回性能の悪さや、大直径発動機装備から来る視界の悪さが指摘され続け、用兵者側の終始一貫性を欠いた運用思想と無理解の中、悲運に泣いた傑作機でありました。

格闘戦を考慮の外とした、本来「重戦」の持ちうる“快速一撃離脱”の攻撃体系は、対する諸外国機にその「キ44的性格」が受け継がれ、軽戦至上主義の寵児であり“無敵”の名を欲しいままにした「零戦」や「隼」を、一挙に時代の闇に葬り去ってしまいました。更には先見の明無き用兵者の犠牲となった本機は、戦後米軍による調査テストの結果「迎撃機としてはもっとも優秀」という高い評価を戦勝国サイドから受けたという、皮肉と矛盾を後の世に残した機体となりました。


薀蓄はさておいて模型の方ですが、現在は機内内部塗装がようやく終わったところです。設計図の着色指定ですと万事「青竹色(メタリック・ブルー)」なのですが、まっぴら的にはちと懐疑的。それで資料を紐解いてみると、昨今「隼」の復元機の写真が...。これを観まするにどうも「青竹色」というより「緑竹色■」に近い色調。でしたので既存の「青竹色」に「クリアー・グリーン」をうんとこさ混ぜ込んで吹き付けてみました。座席などは中島系機内色でよろしいかと...。これに座布団(落下傘?)をポリパテで制作。ベルト類はマスキング・テープを細く切り、貼り付けて着色しました。レバー類の握りは原色で構わないかと。どうせ組み立てると、大して見えなくなるところだし。

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基本塗装は未だ悩みどころです。中国大陸に展開した「黒緑色」塗装や、剥げチョロ“斑”塗装も正直憧れるのです。キット付属のデカールは、「B-29ハンター」として有名な「飛行第70戦隊 第3中隊 吉田大尉搭乗機 昭和二十年 柏飛行場」と「飛行第47戦隊 第3中隊 昭和十九年 成増飛行場」の2種が用意されています。前回「飛燕」の処理で失敗した箇所もあるので、今回はデカールに頼らず“塗り”で描いてみたいところもあります。色艶やかな「飛行第246戦隊 第3中隊 昭和二十年 大阪 大正飛行場」なんて格好良さそうな感じでしたので、思い切ってスピナーを黄色に着色しましたが、よく考えたら「鍾馗」は「鍾馗」でも、キットは「U型」なんですよね〜。「U型甲」か「乙」なら良かったんですけど。ちっ!リサーチ不足。(反省)

再び実機の話です。この「U型」。武装、装備の違いにより「甲」「乙」「丙」と三種類ありました。「U型」は胴体、主翼武装共に「ホ103」12.7mm機関銃を搭載した型でした。「鍾馗」は昭和十五年から十九年の生産打ち切りまでの間に合計1.227機(資料によりまちまち)生産されたそうです。このうち「U型丙」に該当する機体は計426機生産されました。

さて。手を動かそうっと!
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