2011年05月18日

しちかしゅく湖に遊ぶ

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帰省した3日目は、お土産物を探しがてら、七ヶ宿ダムへ向かった。阿武隈川水系の3大ダムだとか。仙台市の発展に伴い上水道、工業用水の需要が急激に増加した為、大熊ダムや釜房ダムの能力を補い、仙台平野の一大穀倉地帯に農業用水を供給する目的で造られたダムなんそうだ。古くから七ヶ宿町は出羽方面への交通の要衝として発展し、谷あいに7箇所の宿場町として栄えたのだけど、ダムの建設に伴い、住民は移転し、集落跡は今はダム湖の底である。

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湖中央部には高さ77mの噴射能力がある間欠式の大噴水が設置されているのだけど、震災後は起動しているのかどうかまでは、時間内ではついに分からなかった。
また下流には国指定の天然記念物である小原の材木岩という材木を立てかけたような景観を誇る風光明媚な断崖絶壁があるのですが、同じく先の震災で崩落してしまったようで、現在はどうも立入禁止になっているようだった。途中立ち寄ったダム湖のほとりのドライブインは歩道が壊れていたし...。斯様なところも先の震災で受けた傷痕は無数に残されていた。

ここでのお土産は地元JAの胡瓜漬三種。(笑) 銘菓「萩の月」はいささか値段が騰がったようで。もっともかの商品のフランチャイズ化は著しくて、同様の商品が埼玉では「武州の月」と銘打って販売されていたりする。もういい加減、東京中日スポーツ的な売り方は企業努力して考え直せ!と毎度激しく腹の底で叫んだりするのだ。

また昨今はアニメ番組「戦国BASARA」の影響だかで、当地の大名:伊達政宗がすっかりイケメン・キャラクターとしてグッズ化されていたのは思わず噴いたのだけど、復興支援の義侠心はともかく、わざわざ“腐の属性”に捕まりに行く事も無かろうと、結局それら商品は何も買わなかったよ。
良いか?歴史上、貞山公は決して金田飛びや空中3回転ジャンプなどしないのである。またキオスクで販売されているスケールが1/6に程近い日本刀を模った豪華箸セットや、伊達・真田のペア・マグカップには決して目移りしないのである。(笑) 
まあ土地興し的にはジャストミートなマテリアルなのは間違いないんだけどね...。



まあ大災害の後でしたが、親族縁者には命を落とした方が居られなかったのが幸い。なんだかんだで駆け足の旅はこうして終わりを告げた。

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国道の東...

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不謹慎な謗りは免れないが、先の震災で被災した仙台空港周辺を漂う機会を得た。
国道4号線から並行するように南北に走る国道6号線に乗る。このルート6。正しき呼称は仙台東部道路...現地の人は常磐道と呼んだりもする。津波被害に襲われた仙台市若林区一帯の住人は、この道路の盛り土構造が防波堤の役割を成し、その命を救われたと聞く。また津波の第一波から避難した方々は、その多くが6号手前で交通渋滞に巻き込まれ、第二波に脆くも車ごと海に浚われてしまったそうだ。ゆえルート6の東側。原形を留めぬまでに破壊された車の残骸と瓦礫、人々の無念や怨嗟の声を呑み込んだ曠野は海岸まで続く。空港に隣接した新興住宅地はこのように跡形も無い。

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TV報道のいう“爆撃痕”というよりは、神の持つ巨大な鍬だの鋤だので地表をそっくり薙がれた様な...。

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津波被害が齎せた混沌の正体は、濁実も清虚も入り混じり、要として知れない。...すまん。ボクのか細い言語概念をすでに超越している。

国道4号線に復帰する車中、 経営難で閉鎖されたボーリング場が、震災後、市だか県だかが急遽開放し、遺体安置所としていたのは紛れも無い冷徹な現実だった。未だに足が竦む思いでいる。ここにかの地より西方浄土に旅立たれた方々のご冥福を今一度...いや何度でもお祈りしたい。

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対向車は支援車輌や緊急車輌ばかりだった。それらを眺めながら、軽々しく「頑張れ!」等と言えない空気を肌身で知る。「見守る」などと上から目線もおこがましい。されば我々は痛み入り「寄り添う」事ぐらいは出来るのはなかろうか?言葉も途切れた物憂い気な空気が漂う車中で、シートに凭れて、捉え処の無い距離感にばかり思考を廻らせている自分に気が付いた。

 
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2011年05月17日

陸州雪譜

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さる14日〜17日まで休暇を取り、東北宮城県に帰省しておりました。関係各位。先の震災被害で大変なところに押しかけてしまいまして、どうもすいませんでした。被災見舞いと言ってもその実態は、懐かしい顔を前に、夜毎飲んでは遊び呆けているだけの不埒三昧、さながら無駄飯を喰らう忌竹(いみだけ)のような存在に過ぎませんでしたが...。(苦笑

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2日目など「タケノコさ、取らいに行くべさ!」などとY姉に誘われ、二日酔いで爛れた頭で裏山に分け入り、筍狩りに興じる。山の 斜面は見渡す限りの竹林。ほぼ白土三平の劇画の世界。地ゴ黙よろしくファッ●ン・タイガーこそ出現しませんが、熊やカモシカは実際に出るらしいとか。途中、サルノコシカケを見つけた。そういえばこの時期、蛇の姿がやたら多かった。

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ところどころ40度以上の急勾配なので 、うっかり気を抜いて足を滑らせ滑落したりすると、たぶん無事ではすまされない。今年のタケノコの発育は例年より遅く、まだ小さな物が多かった。しかし関東育ちのボクには、枯葉を縫って地表に突き出た筍の頭を見つけるは元より、どこからどこまでが他所のお宅のショバなのか?まるで判別が出来ない。
季節外れの藪蚊と戦いながらも、一回の収獲...Y姉の手並みの良さは実に見事なものである。

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さて、飲み食いほっつき歩いていた3泊4日でありましたが、直接的被災地なので、つい目を背けたくなる光景も至るところにあった。

あれ!こんなところにも地面からニョッキリと...!

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筍ではなく、恐るべき事にマンホールの人孔である。JR新幹線駅前、すぐ傍の歩道。新興住宅地の液状化、地盤沈下、あるいは急激な地圧に押し上げられた物か?(これよりさらに高い突出を見たが、その時は生憎カメラが無かった!)

だが驚くのはまだ早かった。こんな物、まだまだ序の口であるのを、この後ボクは痛烈に思い知らされる事となるのである。



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2008年11月16日

巨大ビオトープに跳ね橋を見た!

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戸崎の聖学院大学で英検の面接試験がありました。先日子供が英検3級の筆記が受かったので、ボクはすっかり「受かった!」もんだとハヤトチリしていたのだけど、英語で問答する面接(2次試験)があるんですね。(笑)子供の送迎に出かけましたが、家との往復が面倒なので、近くの大宮花の丘で時間を潰しがてら散策していました。

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この花の丘...正しくは「大宮市ふるさと農林公苑」と言います。元は一般廃棄物の最終処分場予定地とされていましたが、平成2年に旧大宮市市政50周年を記念してお花畑公園として整備したんですね。宅地にしてたとしてもかなりの面積がありますが、敷地内に高圧線が横切っている...。確か東電でしたか?3.6000V以上の電圧ですと架線から3.6m家屋屋根を離したり、コロニアル屋根の素材変更やら、電化・通信製品の障害が発生しやすいやらで、宅地開発には不適切な土地だったんだろうね。

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折りしも雨がぱらついておりました。時期的はお花はベゴニアや山茶花(さざんか)などが見頃のはずですが、もう結構散ってしまっていました。まあ周囲の雑木林の紅葉などを眺めつつ....。

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ここには上流部に延長394.5m、巾員24mの巨大ビオトープがあり、白い跳ね橋がかかっているんです。可動橋。ゴッホの油彩画に観られる「アルルの跳ね橋(ラングロワ橋)」なんて有名ですよね。アニメ「フランダースの犬」にもよく観られる。ほら。これです。
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構造的にはチェーンを巻き上げ本当に稼動するみたいですが、悪戯防止のためか、跳開部はボルトで固定され連結されていました。まあ実際の運河でありませんので、船舶は通行いたしません。(笑)雰囲気ものですね。

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その先にはこのような石畳の橋がある。
携帯電話牝牛に子が生まれた。繰り返す。牝牛に子が生まれた。」とドイツ軍特殊部隊が変装した偽MPが闊歩する往年の戦争映画「バルジ大作戦」に登場しそうな橋ですよね〜。まるで歩哨がいそうな。(笑)

こちらドが付くサイタマの中心なんですが、曇天の気象条件といい、つい「枯葉よぉ〜♪」と晩秋の欧州慕情に浸ってしまうのです...
もっとも沿道を闊歩する灯油巡回販売車のかき鳴らすメロディで、すぐ現実のサイタマに引き戻されてしまうんだなあ〜。くぅ〜っ!(泣)

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まあ、季節の花と天候に恵まれればいいとこです。えっ?肝心の英検面接の結果は...?

Les sanglots longs Des violons De l'automne Blessent mon coeur D'une langueur Monotone.

〜by Chanson d'automne


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大宮花の丘






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2008年01月13日

道奥國、雪征きて結氷録!

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先ほど帰宅したばかりなのですが、仏事でちょっくら東北方面に帰郷しておりました。例年はそれほど雪深くはないんですが、近年、亭主の帰郷は誠に珍しい事象で、周囲に「雪でも降るのではないか?」と囁かれておりました。予想に違わず見事に降らせてしまったのではないでしょうか?(笑)

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出発当時、わが駅前は雨模様。新幹線では栃木辺りからチラホラ雪が舞い始めており、車窓の景色が完全な雪景色に切り替わったのは確か福島の手前辺りから。「トンネルを越えると、そこは雪国」というのを身を持って体験してしまいました。現地はドカ雪ほどではありませんが奥羽山脈系から吹き降ろす風で、積もった雪が再度舞い上がるほどかなり吹雪いておりました。
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ボクは昨年〜今年と、初めて雪景色を見たんですが、「日常の中の非日常」と申しますか?水墨画の如く「一福の絵」と申しますか?非常に研ぎ澄まされた風景なり感動なりが、田舎町のそこかしこに転がっておることから、ついつい嬉しくなって、ここぞとばかり風景写真を撮り巻くっておりました。画像は仙台藩伊達氏の支城で、家老:片倉小十郎景綱が城代。明治期に破却されたんですが、近年再建された天守(三重櫓)。

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最後になりましたが、今回お世話になった関係各位の皆々様方、どうもありがとうございました。仏事ですので駆け足道中でございましたが、次回はゆっくり遊びに行きます。(礼
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2006年05月05日

さよなら交通博物館!

GWの天王山”と目される、本日5月5日(祝)
部活がようやく“休み”となったタカチを連れ立って、東京・秋葉原に遊びに行ってきました。
えっ?秋葉原?どうせHでヲタなまっぴらの事だからメイド・カフェ?「いってらっしゃいませっ!ご主人様っ!ウフっ!揺れるハート」って?(笑) 
いえいえ。今回はメイド・カフェではございませんでして、実は今月14日(来週)をもって閉館する「交通博物館 TRANSPORTATION MUSEUM」に最後のお別れに行ってまいりました。
平成19年秋にさいたま市大宮に「鉄道博物館」として移設され新規に建設されるそうですが、ここ万世橋の「交通博物館」は来週で85年の歴史の幕を閉じるわけ。こどもの日、そうワタシのようなコドモオトナも別れを惜しんでいいでしょう。

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画像は「交通博物館」に向かい「万世橋(まんせいばし)」から神田川の川面、昇平橋(東京方面)を望みます。
万世橋」といえば、かつてこの地は「万世橋駅」という駅舎だったそうです。明治22年、新宿→八王子間を繋いだ“甲部鉄道”...現在の“中央線”の前身でしょうか?更に路線を東京←神田と都市中心部に市街線としてずずいと延伸させまして、東京方面←万世橋駅→八王子方面と、古くから交通の要衝として栄え、建築家・辰野金吾の手による赤レンガの駅舎と、駅前広場の広瀬中佐(日露戦争時、旅順港閉塞作戦で戦死。軍神と崇められました。「杉野はイズコ〜♪」と軍歌でも有名)の銅像がシンボルだったのですが、今現在は地図上にも路線図にもその名はありません。
(すいません。蛍光灯が映りこんで、ちと画質も悪いのですが、下画像が在りし日の「万世橋駅」の縮尺模型です。現在は上の画像左“レンガ造りの高架橋”だけが現存しております。)
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初代「万世橋駅」は、大正12年の関東大震災で半壊・焼失し、二代目駅舎(2本あったプラットホームの1本を撤去。規模を大幅に縮小)、更には「鉄道博物館」と併設された三代目駅舎。しかし昭和18年にターミナルとしての役割を終え、廃止・解体されるに至ります。取り壊された「万世橋駅」。使用されたその備品や設備は、戦時中の物資不足の影響から、時を同じくして開業した東海道線・新子安駅駅舎にそのまま流用されたんだそうです。

現在の「交通博物館」の建物は、解体された旧万世橋駅本屋舎の基礎を流用して建てられました。ですから博物館の形はかつての駅本屋舎の形をほぼ踏襲しているんだそうです。その遺構や備品も今回展示の対象となっておりました。現在残されている遺構で最大の痕跡は、皆様もご存知家も知れません。高架線上に残されたプラットホーム跡なのですね。(博物館屋上から見渡せます)現在のプラットホームと比べて短く感じるのは、当時の列車の編成が今ほど長くなかったためなんですってね。

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また前庭正面、壁からにゅ〜と突き出した御馴染みの「0系新幹線」右手後ろにある窓が、三代目「万世橋駅」駅舎の入り口だそうで、ここから延びた通路から改札口を通って、ホームへの階段(東京方面寄り)に続いていたんだそうです。この遺構ともお別れなんですかね。
旧万世橋駅遺構も特別公開していますが、コチラは予約制とか。館内ではミニ展示「万世橋駅 −失われた幻の駅−」を公開しております。)


いやぁ〜っ。GWともあって、閉館に別れを惜しむ人で館内は大混雑でした。どれ位凄いかと言うと、1Fは混雑でまったく進めず、イモ洗い状態。入館すると、「館の顔」でもあります「9850系蒸気機関車」と「C57系135号蒸気機関車」がいつものように迎えてくれました。
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(注)写真は他にもうんとこさ撮影しましたが、「〜倶楽部録」にはホンの僅かしか掲載出来ませんでした。御免ちゃい。


今回“最後”との事ですので、ワタクシが是非観てみたかったのが、
さよなら交通博物館 特別展示 交博秘蔵 かくれたコレクション展」に出品されていた「航空機関係資料 「ハ45 一二型取扱法(1944年 W700×H500) 実物」と、実物の「ハ45(誉)発動機」=エンジンだったのでした。
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これは「大東亜決戦號(号)」と謳われた陸軍中島四式戦闘機疾風」のエンジンとして知られています。前面直径が1.180mmながら高出力2.000馬力をひねり出すという、出力不足に常に何処かで泣かされ続けた日本機の中にあっては、実に驚異的なエンジンでした。テスト飛行時に最高速度は624km/hという数字をマークしましたが、大戦末期においては徴用工や不熟練工などが増え、油漏れや加熱、軸受けの摩滅、点火栓の不具合、更には燃料や材質の低下により、機の稼働率を大幅に下げる結果となってしまい、充分な性能を発揮できなかったそうです。

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戦後、米軍が規定の整備を施し、オクタン価の高い良質な燃料を使用して、本格的に調査・試験飛行を実施したところ、689km/hという、中島飛行機設計陣が描いた当初の計画はおろか、世界各国の戦闘機水準に追随できるだけの高い性能を軽くひねり出して、日本の技術力や機械民度を頭から舐めきっていた米軍は、マジでおったまげちゃったそうですね。
「戦争」は「愚行」以外の何物でもないわけでありますから、あくまで「愚行の産物」なんでしょうけど、この後の戦後に花開く「先進的技術力、快挙」の“パイオニア”とも受け取れるような話(?)でして、ふいに“昭和史の陰と陽”、二律背反の歴史のパラドックスに陥り、くらくらと目が回る思いのまっぴらでございました。これっていい話なの?悪い話なの?
それはそうと、閉館後のコイツは、いったい何処に行っちゃうんでしょうか?靖国神社だろうか?知覧だろうか?

ワタクシは“右”も“左”もわかりましぇんが、こういう物の正悪は兎も角、過去の先人達の残した貴重な工業的遺産として、
また犠牲になられた方々や、忌まわしき戦争の記憶を風化させない為にも、後世に伝え残して、「キチンと魂鎮(たましず)めをして頂きたい」ものだと考えておりますです。(礼)


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最後になりましたが、人込みにもめげず、熱心に模型鉄道パノラマ(16.5mmゲージ)を食い入るように眺めていた“電車男”のタカチの姿が印象的でした。
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ワタクシも幼少の頃、今は亡き親父さんに連れてこられる度に、展示物の乗り物に胸を時めかした懐かしい記憶がある。小学校低学年時、社会化見学もやはりココだった!無くなるとやっぱ「秋葉原」も、どこか寂しくなっちゃうよな〜。
さようなら交通博物館。ありがとう交通博物館。
交通博物館 TRANSPORTATION MUSEUM」ホームページhttp://www.kouhaku.or.jp/index.html



さてさて。「交通博物館」を後にしたワタクシとタカチの親子二人が「次へ〜」と向った先は「東京アニメ・センター」でした。ちょっと覗きに行ってきました。(写真撮影禁止)本日は声優さんは居られなかったなぁ〜。手塚治虫先生版画(原画?)などを鑑賞後、売店でお土産を購入。
そして更に足を伸ばし、上野恩賜公園内、「上野動物園」で終日遊んでおりました。いやはや〜。コチラも人、人、人。(笑)
カンカン照りの陽気で汗だく。動物もへたばって、檻の隅の方でグニャって寝ておりました。
これでは動物を観に行ったのだか?家族連れを観に行ったのだか?(爆)
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帰宅がてら、いつぞやの上野東照宮を散策。
こちらは「牡丹祭り」の真っ最中でしたね。
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上野駅浅草口改札前、中華料理「上龍酒家」で
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遅いお昼ご飯(チャーシュー・チャーハン&豚の角煮丼)を食べ、その足で帰宅しました。いやぁ〜っ!疲れました。タカチ御疲れ様でしたー!ふぅ〜!
お帰りなさいませっ!ご主人様っ!ウフっ!揺れるハート」 
さ・て・は・“ぴら子”の仕業...。(笑) 
posted by まっぴら at 22:00| Comment(4) | TrackBack(0) | タビ・ログ(微旅行記) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月03日

千葉・舞浜の波の下にも“鼠”の都の侍ふぞ

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諸君。根性決めて行って参ったぞよー。デズニシ。朝8時出立。だいたい10時着くらいだったかな?
ぼくがその昔、抱っこオンブお化け状態のヨチヨチ・タカチを連れ立っていった時、まだ「〜ランド」しかなかったのだけど、今はモノレールが「ががががーん」と上を走り回っていて、近郊のリゾート・オフィシャル・ホテルなどを経由してシまで行くのだね。う〜ん...。時代は変わったというか?ワタシが遅れてるというか?(笑
到着直後からランドの改札入口及び駐車場は大混雑状態で、「うひゃ〜!並ぶのやだー!」と駅からモノレールを乗り継いで慌ててシまで赴いたところ、こちらの入口は人影疎らで閉散としており「?」てな具合だった。

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取り合えずぼくらが急いだのは「ロストリバー・デルタ」。これは1930年代の中央アメリカを再現したテーマ・パークでね。橋から下の川を見下ろすと「C-3PO」なんて書かれた懐かしい「レイダース」の複葉機が川岸に置いてあったなあー。(笑)

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そう。「インディジョーンズ・アドベンチャー:クリスタルスカルの魔宮」。実はコレに乗りたかった。ところがたどり着いてみると、すでにクネクネ行列が...なんと160分待ちっ! 曇り空は見事に晴れ上がり、炎天下の中待ちましたがや...。乗ると確かに迫力があって面白いのですけれど、時間にすればあっという間に終わるアトラクションなんですけどねぇ...。(とほほ)

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あれまっ!という間に昼食の時間になってしまった。対岸の「ミゲルズ・エルドラド・キャンティーナ」というバラックみたいなメキシコ風料理店で、パエリアとケサディーヤを食べました。ここも行列、正味30〜40分待ち。食後はお隣の「ロストリバーアウトフィッター」というショップでインディ・ジョーンズ・グッズを冷やかす。(あの例の帽子を欲しかったのだけどプライスが予算以上に高かった!この関連商品がルーカスの懐を肥やすのか?)

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上の画像は「ミステリアスアイランド」の「ノーチラス号」。(カーク・ダグラスが懐かしい)「海底2万哩」も観たかったのですけど、ここも人気スポットでなんと180分待ちっ!そ〜こまで忍耐ないですものォ!残念っ!

しばらくフラフラ散策した後、電車好きのタカチの希望に沿って「ポートディスカバリー」に戻り、ここから「エレクトリックレールウェイ」(これでさえ30分待ち)という赤いトロリーに乗って、「アメリカンウォーターフロント」へ。ここは20世紀初頭のノスタルジックな港町を体験できる場所。建物は昔のニューヨークが元なのらしいのですが、どっちかというと古きよきニューオリンズみたい。お目当ては「スチームボート・ミッキーズ」SHOP。クラシカルなデザインのミッキー・グッズが楽しめるスポットでした。ここで私の周辺にちょっと御土産のお買い物。

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客船コロンビア号を傍目に出店のソーセージパイなど貪りながら、中央の「メディテレーニアンハーバー」に向うと、どうも「ポルト・パラディーゾ・ウォーターカーニバル」が始まったところらしい。「し、しもた!」ちょうどその時私らは埠頭のガリオン船の周辺にいたのですよ。位置的にはまったく運が悪い事に、城壁を頂く岸壁とガレオン船の舳先の隙間から僅かに...。「ウォーターカーニバル」を後ろから眺める絶好の場所でした。(泣)確かに拍手喝采が沸くほど見事なパフォーマンス・ショーだったのでしたけど...。

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しかしながら、G・Wお休み初日と言う事もあってか、今更ながらもの凄い人の数でしたわね。午後ともなると掻き分け掻き分けてな感じでした。御土産も山ほど買ってタカチはすっかりご満悦でしたw。肉体的にも経済的にも大変疲れましたけど、まあ良かった良かったという事で。お疲れ様でしたぁー!
posted by まっぴら at 19:11| Comment(1) | TrackBack(0) | タビ・ログ(微旅行記) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月02日

デズニシ

結局、明日タカチを伴ってデズニシに行く事になったw。陽気のせいで寝冷えでもしたのか?と一昨日書いた。ワタシは昨日は調子が良かったのだけども、今日は幾分熱っぽい。明日は大丈夫かちと心配。(帰って来て財布の中身を確認したのち、改めて熱を出して寝込もうかと思っております。笑)
posted by まっぴら at 19:46| Comment(1) | TrackBack(0) | タビ・ログ(微旅行記) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする