“
GWの天王山”と目される、本日
5月5日(祝)。
部活がようやく“休み”となったタカチを連れ立って、
東京・秋葉原に遊びに行ってきました。
えっ?
秋葉原?どうせHでヲタなまっぴらの事だから
メイド・カフェ?「
いってらっしゃいませっ!ご主人様っ!ウフっ!
」って?(笑)
いえいえ。今回はメイド・カフェではございませんでして、実は今月14日(来週)をもって閉館する「
交通博物館 TRANSPORTATION MUSEUM」に
最後のお別れに行ってまいりました。
平成19年秋にさいたま市大宮に「
鉄道博物館」として移設され新規に建設されるそうですが、ここ万世橋の「交通博物館」は来週で85年の歴史の幕を閉じるわけ。
こどもの日、そうワタシのようなコドモオトナも別れを惜しんでいいでしょう。
画像は「交通博物館」に向かい「
万世橋(まんせいばし)」から神田川の川面、昇平橋(東京方面)を望みます。
「
万世橋」といえば、かつてこの地は「
万世橋駅」という駅舎だったそうです。明治22年、新宿→八王子間を繋いだ“甲部鉄道”...現在の“中央線”の前身でしょうか?更に路線を東京←神田と都市中心部に市街線としてずずいと延伸させまして、東京方面←万世橋駅→八王子方面と、古くから交通の要衝として栄え、建築家・辰野金吾の手による赤レンガの駅舎と、駅前広場の広瀬中佐(日露戦争時、旅順港閉塞作戦で戦死。軍神と崇められました。「杉野はイズコ〜♪」と軍歌でも有名)の銅像がシンボルだったのですが、今
現在は地図上にも路線図にもその名はありません。(すいません。蛍光灯が映りこんで、ちと画質も悪いのですが、下画像が在りし日の「万世橋駅」の縮尺模型です。現在は上の画像左“レンガ造りの高架橋”だけが現存しております。)
初代「万世橋駅」は、大正12年の関東大震災で半壊・焼失し、二代目駅舎(2本あったプラットホームの1本を撤去。規模を大幅に縮小)、更には「鉄道博物館」と併設された三代目駅舎。しかし昭和18年にターミナルとしての役割を終え、廃止・解体されるに至ります。取り壊された「万世橋駅」。使用されたその備品や設備は、戦時中の物資不足の影響から、時を同じくして開業した東海道線・新子安駅駅舎にそのまま流用されたんだそうです。
現在の「交通博物館」の建物は、解体された旧万世橋駅本屋舎の基礎を流用して建てられました。ですから博物館の形はかつての駅本屋舎の形をほぼ踏襲しているんだそうです。その遺構や備品も今回展示の対象となっておりました。現在残されている遺構で最大の痕跡は、皆様もご存知家も知れません。
高架線上に残されたプラットホーム跡なのですね。(博物館屋上から見渡せます)現在のプラットホームと比べて短く感じるのは、当時の列車の編成が今ほど長くなかったためなんですってね。
また前庭正面、壁からにゅ〜と突き出した御馴染みの「0系新幹線」右手後ろにある窓が、三代目「万世橋駅」駅舎の入り口だそうで、ここから延びた通路から改札口を通って、ホームへの階段(東京方面寄り)に続いていたんだそうです。この遺構ともお別れなんですかね。
(
旧万世橋駅遺構も特別公開していますが、コチラは予約制とか。館内ではミニ展示「
万世橋駅 −失われた幻の駅−」を公開しております。)
いやぁ〜っ。GWともあって、閉館に別れを惜しむ人で館内は大混雑でした。どれ位凄いかと言うと、1Fは混雑でまったく進めず、イモ洗い状態。入館すると、「館の顔」でもあります「9850系蒸気機関車」と「C57系135号蒸気機関車」がいつものように迎えてくれました。
(注)写真は他にもうんとこさ撮影しましたが、「〜倶楽部録」にはホンの僅かしか掲載出来ませんでした。御免ちゃい。今回“最後”との事ですので、ワタクシが是非観てみたかったのが、
「
さよなら交通博物館 特別展示 交博秘蔵 かくれたコレクション展」に出品されていた「航空機関係資料 「
ハ45 一二型取扱法(1944年 W700×H500) 実物」と、実物の「
ハ45(誉)
発動機」=エンジンだったのでした。
これは「大東亜決戦號(号)」と謳われた陸軍中島
四式戦闘機「
疾風」のエンジンとして知られています。前面直径が1.180mmながら高出力2.000馬力をひねり出すという、出力不足に常に何処かで泣かされ続けた日本機の中にあっては、実に驚異的なエンジンでした。テスト飛行時に最高速度は624km/hという数字をマークしましたが、大戦末期においては徴用工や不熟練工などが増え、油漏れや加熱、軸受けの摩滅、点火栓の不具合、更には燃料や材質の低下により、機の稼働率を大幅に下げる結果となってしまい、充分な性能を発揮できなかったそうです。
戦後、米軍が規定の整備を施し、オクタン価の高い良質な燃料を使用して、本格的に調査・試験飛行を実施したところ、
689km/hという、中島飛行機設計陣が描いた当初の計画はおろか、世界各国の戦闘機水準に追随できるだけの高い性能を軽くひねり出して、日本の技術力や機械民度を頭から舐めきっていた米軍は、マジでおったまげちゃったそうですね。
「戦争」は「愚行」以外の何物でもないわけでありますから、あくまで「愚行の産物」なんでしょうけど、この後の戦後に花開く「先進的技術力、快挙」の“パイオニア”とも受け取れるような話(?)でして、ふいに“昭和史の陰と陽”、二律背反の歴史のパラドックスに陥り、くらくらと目が回る思いのまっぴらでございました。これっていい話なの?悪い話なの?
それはそうと、閉館後のコイツは、いったい何処に行っちゃうんでしょうか?靖国神社だろうか?知覧だろうか?
ワタクシは“右”も“左”もわかりましぇんが、こういう物の正悪は兎も角、過去の先人達の残した貴重な工業的遺産として、
また犠牲になられた方々や、忌まわしき戦争の記憶を風化させない為にも、後世に伝え残して、「キチンと魂鎮(たましず)めをして頂きたい」ものだと考えておりますです。(礼)
最後になりましたが、人込みにもめげず、熱心に模型鉄道パノラマ(16.5mmゲージ)を食い入るように眺めていた“電車男”のタカチの姿が印象的でした。
ワタクシも幼少の頃、今は亡き親父さんに連れてこられる度に、展示物の乗り物に胸を時めかした懐かしい記憶がある。小学校低学年時、社会化見学もやはりココだった!無くなるとやっぱ「秋葉原」も、どこか寂しくなっちゃうよな〜。
さようなら交通博物館。ありがとう交通博物館。「交通博物館 TRANSPORTATION MUSEUM」ホームページhttp://www.kouhaku.or.jp/index.htmlさてさて。「交通博物館」を後にしたワタクシとタカチの親子二人が「次へ〜」と向った先は「
東京アニメ・センター」でした。ちょっと覗きに行ってきました。(写真撮影禁止)本日は声優さんは居られなかったなぁ〜。手塚治虫先生版画(原画?)などを鑑賞後、売店でお土産を購入。
そして更に足を伸ばし、上野恩賜公園内、「
上野動物園」で終日遊んでおりました。いやはや〜。コチラも
人、人、人。(笑)
カンカン照りの陽気で汗だく。動物もへたばって、檻の隅の方でグニャって寝ておりました。
これでは動物を観に行ったのだか?家族連れを観に行ったのだか?(爆)
帰宅がてら、いつぞやの上野東照宮を散策。
こちらは「
牡丹祭り」の真っ最中でしたね。
上野駅浅草口改札前、中華料理「
上龍酒家」で
遅いお昼ご飯(チャーシュー・チャーハン&豚の角煮丼)を食べ、その足で帰宅しました。いやぁ〜っ!疲れました。タカチ御疲れ様でしたー!ふぅ〜!
「
お帰りなさいませっ!ご主人様っ!ウフっ!
」
さ・て・は・“ぴら子”の仕業...。(笑)