2010年12月02日

あいやぁ暫ぅ〜しばらくぅ〜!過激よ〜景清ぉ〜♪

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古来、歌舞伎には「荒事(あらごと)」という演目がございましてな。超人的な力をもつ正義の勇者。その多くは勇猛粗暴な性格の持主として描かれ、非現実的な霊力によって悪人を退治する江戸歌舞伎独特の役柄で、その起源は金平浄瑠璃の坂田金平に遡るとか。とりわけ平家滅亡後、鎌倉問注所にある土牢に押し込められた悪七兵衛景清が繰り広げた破獄劇は、歌舞伎十八番のひとつ「景清(かげきよ)」という荒事芸で市川海老蔵こと二代目市川團十郎の立ち役芸のお箱となり、江戸の人々を魅了し続け、暫(しばらく)・鳴神、助六・弁慶(勧進帳)と並び、市川家一門のお家芸となったわけです。

ところが後の天保の世になり、五代目市川海老蔵(七代目市川團十郎)は興行に際し幕府からお咎めを受け、興行は即刻中止。海老蔵本人は手鎖ののち江戸十里四方追放の処分となり、「景清は牢を破って手錠食い」と世の人から言われるに至ります。景清の衣裳に御法度の由縁たる本物の鎧を着込んでいたのが処罰の理由になったという。それ以来、昭和の世に到るまで、この「景清」は上演されなかったと聞き及びます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101202-00000010-maip-soci

さて、今回一連の不祥事は。
ここで繰り広げられた「荒事」は、免罪符を持つ世襲的技能職なりや?

あいやぁ〜暫ぅ〜しばらくぅ〜!

伝統芸能の暖簾の上に胡坐を掻き、体調不良ゆえドタキャンの言い訳は何処吹く風。 酔いに任せた挙句、灰皿でテキーラの飲まそうとする不届き至極の輩は、海老が大好物な侵略!イカ娘ちゃんに、頭からボロボリ喰われてしまえ!ってな感じで、一件落着ぅ〜!

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(ちょんちょんちょんちょん...いよっ真平亭!)



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2007年03月31日

稲座冷え

「咲く」の複数形が「咲く等(ら)」で「桜」とする説もあるそうですが、一説には「田植えを待つ稲(さ)の神様が、暫し座(蔵 くら)する王座(みくら)」と言う事で「稲座(さくら)」とも呼ばわった言い伝えがあるとか?此方の方が2000年来の弥生式水田農耕民族末裔の情緒に訴えかける感大でしたので(笑)、表題には「稲座=花」と無理無理宛がってみました。「稲座(はな)冷え」=「花冷え」ですね。

ボクは今日は仕事だったのでマジマジとは花見はまだしておりませんが、開花にあわせて今日辺りは各地で一斉に「お花見」となったようです。しかしながら、昨日の陽気とは裏腹に今日はやたらと冷え込みますねえ。飲み過ぎもさる事ながら、くれぐれもお風邪などを召されぬように。

「桜」を愛した鎌倉時代の歌人“西行法師”が詠んだ歌の中にはね。
願はくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃
という代表的な和歌があるそうです。 その初々しい色彩に彩られた花弁には、慎ましやかと共に、常に「完結」と向き合う潔さが感じられ、兵衛尉まで任官し出自がお武家さんだったにも関わらず、出家して浮世に背を向けた西行法師の生き様と被りながら、閑寂の中にも真剣の凄みを感じさせるような研ぎ澄まされた感性を感じます。

西行法師は後年この歌の通り、文治6年2月16日(1190年3月23日)釈尊涅槃の日に入寂したそうです。

今日は亡き父の誕生日でありました。画像は明日UPします。




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2007年02月09日

サラ川に泣く

模型を塗装しようと、古新聞を下敷きとして床に広げたところ、その新聞に掲載された、国会に提出される「労働基準法改正案」という記事がふと目に止まった。要約すると、先進国の中にあって更に残業が多いこの残業大国。「会社員の10人に1人が夜10時過ぎまで残業をしている」という。これに対して残業時間が長くなるほど割増率を上げ、抑制・緩和しようとする動きらしい。
これ以上書こうとすると、記事内容を半ば転載するようなものだし、ボキャ貧気味の自分の言葉ではとても書き表せないので敢えて控えるのだけど、自分的に思うのは「割増率を上げても、まず残業は減らないだろうなあ」というのが率直な感想。ボクんところは儲からないから、代わりの人を雇う事も出来ず、結局は一人力で長時間働かなければならない。それに昨今は、労働者の都合を考えず平気で「サービス残業」って小癪な形態もあるからね。

昨年辺りから「息切れ」とか「体調の頻繁な不調」というのをやたら意識するようになって、たびたび医者のお世話になったり、体重を減らしに掛ったりして、ふと大袈裟に「過労死」とかが大きく頭をよぎったりもしたけども、これも何やら新聞社会面には「本人の自己管理の問題」、「労働者を甘やかしすぎ」として切って捨てた経済記事を「暴言」とした論議(衆参予算委員会)が掲載されていた。もう「何でもあり!」って感じ。もう「言った者勝ち」に加えて、揚げ足取りや言葉尻拾いが横行する恐ろしいカオスの世界でありますな。

たまたま覗いたヨソ様のページに紹介されていたが、巷には「サラ川」こと「サラリーマン川柳」という変わったモノがあるそうで。

この俺に あたたかいのは 便座だけ

なるほど。確かに「言い得て妙!」と膝を打つ。ツボを確実にクリティカルHITしている。でもココロからは決して笑えないだろう。なぜならば、この乾いた笑いの中に潜む何かしら(格差社会、低賃金、長時間労働)は、誰でも確実に当事者だからだ。
儲からないのは仕方が無いかも知れないが、それに対して感謝や慰労が伴わない世は、すでに亡国。




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2007年02月06日

春の陽気に誘われて...

日中はもう“四月の気温”とか、“春の陽気”とかで、ポカポカ暖かいですな。梅の開花ならわかりますが、少々桜が咲いたところもあるらしく、もう季節感もメチャメチャですわな...。ポリタンの灯油もいっこうに減りません。

とにかく眠い。四六時中眠い。夜半は模型をさっさと進めたいのだけど、情けない話、起きてられない。自分でも驚くのは、TV洋画が最後まで観ていられないんだ。最近...。(苦笑)

なんだろう?結構疲れてるのかな?

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2006年11月30日

続ミササギ

昨日の件を更に調べてみると、百舌鳥古墳群には墳丘長が150mを越える巨大な前方後円墳が七基あるとか。(それらの周囲には更に衛星状に“陪塚(ばいづか=近親や陪臣のお墓)”が配置されていますから、総数は優に百基近くあるのでは?)

その中で「百舌鳥 耳原中陵(モズミミハラノナカノミササギ)」の他、「第17代 履中(りちゅう)天皇陵(石津丘古墳/ミサンザイ古墳/百舌鳥陵山古墳)」を「百舌鳥 耳原南陵(モズミミハラノミナミノミササギ)」とし、「第18代 反生(はんぜい)天皇陵(田出井山古墳/楯井古墳)」を「百舌鳥 耳原北陵(モズミミハラノキタノミササギ)」と称し、「百舌鳥三陵」と総称したんだそうな。
そもそも「〜天皇陵」という呼称は、『延喜式』諸陵寮(927)という古代文献の記述に記されていて、その影響で江戸時代には幕府も山陵奉行(さんりょうぶぎょう)制度を置いて、そう管理をしていたそうですが、実際は「修陵(樹木伐採・清掃・整地・修復)」を名目に、若干の盗掘をしていたような噂もチラホラ。

ただ現代の研究...墳丘変化=前方部延長等の型式類別研究において、「第15代 応神陵」〜「第18代 反生陵」までの築造順序がはっきりと特定出来ないそうですね。一部崩壊によって出土した副葬品(短甲・冑・ガラス器)や形象埴輪から、築造順序に逆転が生じるという事は、被葬者の順序にもズレが生じる。祖型はいったいどれなのか?何やらギザに至るまでの試行錯誤のピラミッドの造営研究のようで面白い!

国家事業としての大王墓造営、墳丘堆積から築造年月を測定すると、一日1000人が働いても土石の運搬だけで4〜5年かかるとか。在位期間の長短によっては造営規模が小さくなりうる。だから“大きい”からといって、必ずしも当時の支配権の大きさや権力誇示には結びつかない。

マイブーム的にはますます面白くなって、加熱してきたんですが、興味をお持ちではない方は、読んでて面白くないと思うのは必定。まっくら的には何やら申し訳ない気持ちで一杯で、またシしてシカバネ拾う者無し...ちりり〜ん。
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2006年11月29日

ミササギ

夜な夜なセガレの期末テストの勉強を教えている「教育パパ」のまっくら卿なのですが(笑)、きゃつめの社会科・歴史の教科書を紐解くと、ワタクシなどがかつて小中時代に教わった国内最大級の古墳「仁徳天皇陵(大阪府堺市)」は、最近の教科書では「大仙(だいせん)古墳」という呼び名で教えているんですねえ。
調べてみると呼称が多々あって、大昔は「百舌鳥 耳原中陵(モズミミハラノナカノミササギ)」と(一部)したらしいですが、「大山〜」、「大仙〜」、「大仙陵〜」という呼び方もあるにはあったそうです。

確か「仁徳天皇(第16代)」という方は、「日本書紀」には在位期間は313〜399年とあり、「御陵は毛受(けず)の耳原にあり」と記されていて、一方「古事記」の方では394〜427年、「百舌鳥(もず)野陵に葬る」と記されており、諸説様々(百舌鳥という地域は夥しい古墳群)らしいんですけど。
結局、治定陵の特定の部分においては、最近の研究において「第16代 仁徳天皇陵墓」としての可能性を“慎重ナル検討ヲ要スル”と、疑問視してしまったんでしょうかね?

でも「応神天皇(第15代)」時代の朝鮮出兵により疲弊した国力の回復の為に、3年間課税を停止した後、土木整備・干拓事業を推進して、「徳が高い」と評価された賢君だったとか?

歴史好きが災いして「皇陵史」って「発掘出来ない」だけに大好きなんですけど、でもそんなオヤジとしましては、子供に教える上で「ダイセン」では、どうもピンと来なくってねえ〜。でも思いっきり記載されているしねえ〜。(苦笑


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2006年10月31日

五省

一.至誠に悖(もと)るなかりしか。
一.言行に愧(はじ)るなかりしか。
一.気力に缺(か)くるなかりしか。
一.努力に憾(うらむ)なかりしか。
一.不精に亘(わた)るなかりしか。

ちょっと難しいお話でしたね。現代文に訳すると、

一.誠にそむいていないか。
一.自分の言葉と行いに恥じるようなことはないか。
一.気力に欠けていないか。
一.努力を怠り、残念に思うことはないか。
一.なまけてはいないか。

という内容でした。
現代の道徳や教育の現場でも、何だか通じそうな感じがしますね。
とくに“いじめ”とか、教育のあり方が叫ばれ疑問視されている中にあって、生徒はおろか、組織の保全ばかりに視線が向く教諭一人一人にも通じそうな言葉。

これは実は忌まわしき太平洋戦争時代、旧海軍兵学校で学ばされたという「五省」という教育勅諭なんだそうです。悪名高き「戦陣訓」などを初めとし、メチャクチャな命令に無理矢理従わせようとした悪しき旧軍隊の姿、統制主義や当時の思想、背景に捉われなければ、現代教育でも通用しそうな、至って道徳的な内容でございます。つぅーか、人間生活を営む上で、ごくごく「当たり前」の事が書かれているわけでして...。


ちょっと語弊を招くかもしれないが、狂気の精神論が横行し支配した時代にあって、時々こういう文明を準拠とした...というか?至極、現代に通じる「当たり前」のものを発見すると、返ってほっとしますな。

兎に角「戦争」という単語にアレルギーを起こし、まるで細菌感染を恐れるが如く、嫌悪するがあまりクソもミソもゴッチャに封殺し、「“臭い物”だから、とにかくお子様達の目に触れない様に〜と、一切合財蓋をする」という、昨今の湿っぽい歴史教育のあり方もどうなんだろうか?毒から薬を抽出するが如く、過去から何かしら学べる物を抽出し(つまり一方向からのみではなく“多角的・鳥瞰的視野”で歴史をちゃんと勉強し直し)、キチンと次世代に伝え教えて、現代と未来に役立てるという、ドライな計算能力もこれからは必要なのではなかろうや?

あっ!「五省」。ワタクシメに至っては自慢ではございませんが、全部ダメでございました。(恥) このようにダメダメオトナも多いですから、すでに教育基本法改正どーこー以前の問題かと...。(笑)
posted by まっぴら at 22:00| Comment(5) | TrackBack(0) | まっくら爺放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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